長唄聞書9「末広狩」





この曲は短い曲ですが、舞踊曲の形態をよくとって出来ているので、曲の形の説明の時よく使わして頂いています。即ち、オキ、出、カタリ、クドキ、踊り地、チラシと言った形がきちんとしています。小曲で手ほどきでよく使うので皆、軽く見ている気がするのですが、仲々名曲でむつかしい曲です。作曲者を三郎助と書いてある本がありますが、安政元年は十代目を襲名していますから十代目六左衛門と書くべきです。
曲の始めは平家がかりで出ます。「アド」を切って唄う方がありますが、一つの言葉ですから切らずに唄うべきです。「太郎冠者あるか」を大名だからと言うので強く威張って唄う人がありますが、初演は女大名なので余り強いとおかしいと思います。次の手は太郎冠者が前に出てくる表現の手で仲々うまい作曲

と存じます。「御前に」は三ツ間で切って 末広狩譜面 に唄尻がかからぬ方がよいと思います。
それは大名の旋律型ですからです。しかし同舞台に二人の人物が立っているという解釈の方は唄尻をのばす様です。次は太郎冠者の道行ですが、「恋の奴」の奴にかけて行列三重を使っているのは洒落ています。「扇も名のみにて」の唄尻も5にかけないで5をはっきり聞かせた方が場面転換の効果があると存じます。扇づくしのクドキは美しい旋律で、仲々すばらしいと思います。
「傘をさすなら」の解釈は意外と知られていないのですが、奈良の春日山衆徒が権威あったので雨が降り出して来ても、衆徒が傘をさす迄一般の人はさせなかった事からきています。「人がのみてさすなら」は昔大工の人がこの曲を聞いてノミでさすと言うのは穏やかでないと言ったので「人がのんで」に直した派があります。「げにまこと」を普通のフルオトシにしている派があります。「四つの海」のあと二の開放弦で弾く派と一の開放弦を弾く派とあります。位どりから言いますと一の方が正しい様に存じます「波の鼓」の手は小鼓の擬音です。序に申しますが(耳にタコと言う人もいるでしょう)Tの糸を天の位、Uの糸を人の位、Vの糸を地の位として、三弦で天地人を表している思想があって、位の高い表現とか大きさを表わす時は、Tを使い、人声の所はUを使うケースが多い由です。
この曲の原典は狂言の「末広がり」ですが、作者は玄恵法印との事です。狂言の方は男の大名で末広を買いにやりますが、長唄の方では女大名で恋文のつかいにやった事になっています。この時の芝居は草双紙の「釈迦八相」を劇化したもので、狂言とは変えてあります。この狂言を三味線音楽化したものは常磐津「寿末広」、一中節で四世菅野序遊が作曲した曲があります。杵屋六翁が弘化年代に作曲した御祝儀曲「末広」がありますが、内容は「末広狩」とは全然関係ありません、「末広狩」は基本になる点が多いので、しっかり研究勉強したいと思います。



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