長唄聞書7「雛鶴三番叟」





故山田抄太郎師は、この曲と「犬神」と「安宅松」の三曲は長唄の基礎であって、この曲を詳しく研究すれば長唄一般概念が判ると御っしゃっていました。この曲は数ある三番叟の中でも最も古い曲とされ、「邦楽年表」などにも宝暦五年(一七五五)作とかありますが、作曲者、上演劇場等一切わかりません。只三世吉住小三郎「唄の栞」に延宝八年(一六七三)ひなづる三番そう、ふきや町市村竹之丞座にて、とあるので原曲はこの時に出来たものかもしれません。もっとも今の様な全曲ではなく、始めの部分か終わりの所かの一部がこの曲かも知れません。この記事が正しければ原作曲者は杵屋勘四郎と言う事になります。芝居上演は弘化三年十一月中村座で、この折現在の形になったものと思われます。
「とうとうたらり」もこの時のものかと思います。「又万代をかけし契り」はモリ込む派と後から出る派とがあります。二つ枕と水ももらさぬと二ヶ所フリ落とす旋律が研譜にありますが、ここはどちらか片方をフリにして片方を棒に唄った方がよいかと存じます。「しやほんにな尉」は、ほんになとな尉のカケ言葉ですから工夫しなければならぬと思います。「添うも千歳」は声さえ出ればもうかる所ですが、甘く考えるとひどい目にあいます。「さてもよいよい」は、よいが三つありますが三つとも唄い方を変える様に言われた事があります。
「おゝさえ」の後、「外へはやらじとぞ思う」迄唄う方がいますが、「喜びありや」で次の唄の喜びありやに変る所が面白いのであって、「外へはやらじ」迄やってしまうと曲趣が変わってしまうから心する様に言われました。この三番地はリズム感が悪い方がなさると忽ち馬脚を表します。「夜遊の舞楽に」のを言わない派もあります。烏飛など上手く切ってくれるとよいのですが、どうも女の方は一般的にこういう切る所の上手い人は少ない様です。太鼓地の前の「在原や」の唄の五字はむつかしいです。会の時でも稽古の時でもここが済むとホッとします。返し唄は必ず何処かを変えて唄うので苦労しますが、判る様にやると叱られますのでむつかしいです。「岸の姫松」のツは振っては叱られます。この時代の物のオトシの形は前を振ってはいけない由です。段切も「万歳楽」と聞こえる様に仲々うまく出来ぬものです。昔は六本以下で演奏すると笛方から文句が出たそうです。おさらいで昔五挺五枚でやった時K師が血相変えて飛んで来て「囃子の方にあやまれ」と言われ、私達はその時チンプンカンプンでしたが最近怒られたわけがわかりかけて来ました。今一つ、現在著名な方のデビュ ー(囃子)がこの曲で私は五枚目に座っていましたが、曲が終わるとD師が鼓をおいて「私の指導が悪く、皆様にこいつが迷惑を御かけして申しわけない。皆様にあやまりなさい」と言われ、その人が舞台に頭をすりつけて皆にあやまった事があり、その厳しさに慄然とした事がありました。これは何れも「雛鶴」でした。太鼓地の所で演奏中に太鼓の方が後を向いて「そんな唄じゃ太鼓が打てねェ」と言った事が実際ありました。今は平和な時代ですね。



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