長唄聞書5「外記猿」





十代目杵屋六左衛門の外記節三部作の一つで、文政七年が申(サル)の年であり、十代目も申歳だったので作曲したのではないかと思います。十代目の初作曲は一般に文政三年の「石橋」と言われていますが、「石橋」の方は文政十三年版の正本を秋葉芳美先生が持っておられた由なので私は十三年説をとっています。従いましてこの曲が処女作と考えております。
外記節についてご説明すると原稿用紙三十枚位いりますので省略しますから、各自お調べ下さい。テチチリチツツツンテツツンシャンの序は大ザツマ四十八手の一つですが、人物情景によって弾き方、位どりが異なります。ここだけ聞けば三味線弾きの上手下手、曲に対する接し方がわかります。外記節の特色は半地と、地から唄に変る所で、「風雅者」から「日がな」と唄に変わる所などがそうです。「夜さの泊り」は当時の流行歌で長唄以外にもよく使われます。「おヽいおヽい」はヤ声という手の由で義太夫「一谷」から取ったそうです。次の合方は「寄セ」で「やんらめでたや」となりここは狂言サルウタという手の由。「黄金の花が咲きや乱るる」は四ツ竹という三味線の手を入れた由。「さっても粋な」から後は薗八節をとった由。ここの部分は明治八年に歌詞を改訂されそれが現行になっていますが、旧文句で作曲されているので唄と三味線の関係が生きなくなった気がします。たとえば「手ならいを」の所でなアのウミ字を上げますが、旧文句の「恋ざかり」なら上げる意味がわかります。「共に学び」の所は三味線がしのびの手を弾いているので旧 文句の「忍ォび忍びの」ですと唄と三味線が合うわけです。恋模様が勉強家になってしまうのですから恐ろしい話です。「松の葉越」は時代にやって「船の中には」から世話になる所が面白いと言っておられた方がいました。「ひんだ踊」は『松の葉』などに出ていますが「蓬莱」の「萩の白露」はひんだ踊の手との事です。二上りの在郷の文句は色々面白いエロティックな意があるのですが、エッチだと思われますので止めます。「実に面白や」からは杵屋宗家に伝わる「猿若」の手を応用している由です。二上りの「猿に烏帽子」は囃子が六拍子を打ちますので、下手な唄うたいが唄うと囃子が打てません。「のんほのいよえ」は有田ブシの由。「獅子と申すは」の前のシャンシャンは昔は一回で、大正、昭和初期のレコードは皆一回になっています。有名な唄方の人ですが「獅子と申すは」というのを「猿と申すはサルサル」と唄ってしまったので、舞台でおかしくて死ぬ思いをしたことがあります。タテが一人で唄ってツレになる所がここのクダリに多いですが、こういう所をワキが心得て出てくれるとタテが助かります。こういう個所はワキ唄のみせ所だと思いますが、仲々いいワキ唄はい ませんね。終りは外記ドメと言うきまった手ですから、キチンとやらないと恥をかきます。



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