長唄聞書4「秋色種」





この曲につきましては最近色々新資料がみつけられ、新研究が多く従来の解説書に大分改訂と補足が加えられました。自分のPRで恐縮ですが『芸能』誌(五八年七月号)に私なりの意見を書きましたので、機会がおありでしたら御覧下さい。『季刊邦楽』四〇号(五九年九月邦楽社刊)が「秋の色種」特集号で、総合的に詳しくふれていますので是非御参照頂きたいと存じます。又、朝日新聞編集委員であられた工藤宜氏の労作『朝敵の世紀』上巻に「秋の色種」に対する鋭い考察が発表されています(朝日新聞社刊)。この外にも論文考察が色々あり調べ出すと誠に面白く、五百頁位の本が出来そうです。各大学の卒論にも随分この曲が取り上げられ、これからも学会発表が続々と出て来そうで楽しみにしています。殊に芸大楽理科大学院卒業論文の矢向正人氏の「秋の色種」を主体とした長唄分析の論文は、四百字原稿用紙で三百七十枚と言う労作で、新しい観点から観た秋の色種像に一驚させられました。勿論、従前からの浅川先生、町田先生、吉川先生等の諸御本も御参照下さい。先賢の御考察が総べての基礎です。
従来の解説書によく佐竹利済と言う南部藩の殿様が作詞したとありますが大変な誤りで、南部藩は代々南部氏であって佐竹姓を名乗った方はいません。従って佐竹利済と言う人物はこの世に存在していなかったのです。特に御注意下さい。
曲に移りますと、まず前弾は箏曲の「六段恋慕」と「岡安砧」を巧みにアレンジしています。「しのぶ草」の、しのォとウミ字をあげる派があり、これは初演の富士田音蔵の型です。音蔵は美声で有名な人で、ウミ字を上げる型は他にも「若菜摘」などに残されています。谷の戸は、麻布にある地名で私は麻布中学だったのでよく校庭から谷の戸を見ました。序ですが、初演された南部侯屋敷は広尾の有栖川公園とその奥図書館のある所一帯です。「荻の葉」の後トロトロと一を弾くのは風が吹いて来た表現で、「すえじと」のハズミ手は露が風でパラリと落ちる様子との事です。「風は吹くとも」は一拍ずつ三絃と打合わせの様に間々へ入って行くので大変むずかしいと思います。作曲者十代目はこの型が好きであった様で各曲にこのパターンが出ています。「楽しき」の前、一だけ弾いて三を弾かずトン「楽しき」になる派もあります。
「変態繽紛」の大薩摩はアッサリやってバリバリ弾きまくるものではないと言われています。蘭奢待は御存知のように東大寺にある名香で、乱蛇体と言う蛇かと思った人があり笑い話になっています。の字に節をつけてゆらす様にするのは名香が立のぼって行く様子を表現しています。琴手事は「みだれ」が応用されています。後先になりますが、虫の合方は藤尾匂当の「虫の音」にヒントを得ているそうです、三下りは雪月花の楽しみを唄っており、鳥追いの手やほととぎすの擬音、続いて地唄「雪」の手を使って「雪に消えせぬ」とつなぎます。「月は秋かも」は明治になっての改訂文句で、従来の「月の秋風」は、月、秋風、ほととぎすと三つを作詞者は意識して作った由です。
こんな事申すと生意気で僭越との御叱りを受けるかもしれませんが、未だかって名演で感服した記憶がどんな大名人の演奏を伺ってもこの曲に限ってありません。一生の内に一回でもキチンと演奏する事が私の夢であり、理想ですが無理でしょうかね。



戻 る