この曲はそれこそ赤ン坊の時から聞いているのでそんな大変な曲と思っていなかったのですが、先日勉強会で伺って認識不足を痛感しました。やはり上中下の大曲のしめくくりになる曲で色々な意味でむつかしい曲です。作曲者の初代杵屋六四郎は、唄が非常に上手な方であった由で、その為この作者の曲はどれも唄がむつかしいです。反面、研究し疑って演じるとそれなりの効果はあるようで、研究しがいのある曲が多いようです。
作曲年代は不明ですが、文久三年十月守田座で四世中村芝翫「三国妖婦伝」が上演されており、歌詞に「又新玉の春」と云う詞があるので元治元年正月ではないかと思っています。「三国妖狐」は上が三下り、中が本調子、下が二上りの通しで仲々こっています。曲の始めは下座の幕明きの感じでサラリといたします。「しどけなや」で幕があいて宮神楽を使って那須野の在郷の感じと同時に祭礼の場を表現しています。助蔵助作両人が見た夢と云うのは中之巻華清宮の事で、中之巻で文王が見た夢というのは、上の巻天竺と云う事になって次につないでいる手法も仲々洒落ています。お玉女郎と云っても傾城的女郎でなく、娘っ子に云う時に使う愛称です。傾城のお玉が出て来たと思った人がいましたが大笑いです。「きやったの」が半分言葉ガカリで地でも唄でもないのでむつかしく、こゝがワケ口の時は何時も苦労します。
「何じゃ」以下はやりとりが面白いのでイキが夫々合わないと興趣半減します。すその模様のすそをつめて唄ってはいけないと注意されました。浜唄の「沖で峯見りゃ」上手い節付で間を正確にメラないよういたします。「ンエエ」からはクドキの意をもって演奏します。ずっと「ないかいな」迄を浜唄と思っている人がいましたが間違いです。研精会譜の「ないかいな」の所チンが一小節多いですがこれはミスプリです。「汝が俗性」を地でいでて唄に変えます。鼓唄は長唄の鼓唄と云うより豊後節系の形をとっています。常磐津の「関の扉」など参考になさるとよいと思います。「三国の王法を」とオの字がやたらに重なりますので工夫を要します。「万国無双」の無はムでもなくブでもない両方の妙な発音をしますが、江戸語幕末期の発音なので現在ではもう無理でしょう。これは悪魔降伏も古事も現代的発音と違う由で時代の流れで仕方がないと存じます。段切は単に「那須野」
一曲の終りでなく上中下大曲の終りなので心して下さい。
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