明治に坪内逍遥博士の新舞踊運動が起こり色々新しい試みがなされましたが、明治四十四年九月文芸協会試演会で「寒山拾得」と「お七吉三」の新舞踊が上演されました。作曲は前半が四代目吉住小三郎(慈恭)、後半が三代目杵屋六四郎(浄観)で、研精会で上演されたのは第百十回で明治四十五年七月です。
詳しい解説は多くの本にありますので略しますが、数ある研精会新曲の中でこの二曲は五指に入る名曲と存じます。坪内逍遥は歌詞の材を井原西鶴の『好色五人女』の内の「恋草からげし八百屋物語」にとり、原作を巧みに生かし老熟な筆で美しく作られています。作曲も歌詞にマッチした巧みな作り方です。演奏をなさる方は前に一度、西鶴の原作を御読みになられるよう御勧めします。研精会譜にト書きが書いてあり(例えば「お七無常を感じたる思入にてしょんぼりとなる」)これをよく御覧になって下さい。
始め三下りの「禅ツト」をアレンジした前弾があり、これに替手が入りますが、本手で寺の情景・替手で娘を表現しているようで、寺に娘が一人座っている情景を出しています。ここも卜書きによれば、寺に黒羽二重の小袖を抱いたお七しんみりした唄につれてふりかえり振りとなるので、シャン今日ぞ知る、とシットリした気分で唄い出します。「思いきり銀杏」は浮世を思切ると、桐といちょうの並べ紋のカケ言葉なので、「きり銀杏」の前で三味線はカケ声をしてはいけません。「裾わけらしき」は三味線にかまわず間で唄わないと、変に気をすると上手く行かぬようです。「秋の風」は次にかからぬ様切ります。「のうのうそれなるお娘御」の吉三の言葉を妙に立派に言う方がいますが、何才位のどういう身分の人かということを考えていうべきで、お爺さんの吉三や浪人者の吉三が出てきたらブチこわしになります。次の「ええ」とお七の言葉、一度ある方が演奏会でなさいましたがやはりおかしいです。「目の塩」はクドキではありませんのでサラリとやるべきです。「散ろずも」から二上りに行く時は前のノリでそのまま二のトトトンとやるので三味線は大変だと思います。ここのノリは故六多郎
師は上手かったですね。後にも先にもここを師の様に弾かれた演奏は聞いた事ありません。二上りは二度カエシますが、「我ぞとォも」を一の音迄落とし、二度目の「親はらからァも」を二の音に落とし区別します。あとは大分浄瑠璃がかかっていますが、余り思入れをやり過ぎると品が悪くなります。「鐘近々と」のア卜の手は「八犬伝」などでも使う浄瑠璃の裏六法と言う手です。「あかぬ」はチン、ヒフミィヨォ、オイと言うと入れます。カケ声がなくても心得ておくと良いです。「さりとては」から「常夜の」迄シメずにやるそうです。この曲も寒山も短時間で作曲された曲ですが上手いものですね。作詞者より屏風からぬけ出た活人画風故、余り踊ってはいけないと指定があって、初演は屏風を一つ置いただけの背景であったとの事です。
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