この曲の解説を書く時何時も悩みます。作曲者の杵屋勝五郎が、初代か二代かはっきりせず、作曲年代も文政四年としてよいか天保三年とすべきかで迷います。『邦楽年表』文政四年の頃に「正本の出でしは本年なり。作曲は更に前なるべし。」とあり、わけが判らなくなります。作曲者の方は、故杵屋勝五郎作曲とある正本がありますので、初代と断定してもよいと思います。天保三年は市村座で「姿花后雛形」と云う沢村訥升五変化の所作があり、その折「小鍛冶」が上演されているので、作曲年代は一応この年にしている人が多いです。蛇足ですが『邦楽年表』は初日を六月十五日となっていますが、九月のミスプリントです。
作詞の劇神仙にしても問題があり、諸説がありますが、二代目の劇神仙としてよいと存じます。この人は神田新石町の水戸御用達菓子商の真志屋五郎作で、後剃髪して寿阿弥となった人です。「初子の日」もこの人の作詞と思われます。文化文政頃、金持ちや豪商が作詞をして贔屓の演奏家に作曲をさせる事が流行し、その中の出来のよい曲を芝居にかけた事があるので、この曲もその一つかと思います。短い割にまとまった品の良い名曲であると存じます。
始めの鼓唄は甲で始まり逃げ様がないので辛いです。「小狐丸」と唄出すと三味線と合わない時があるので、何時もヒヤヒヤしています。セリ合方のあとノットになり、以下外記節の手法を使っています。「伝え聞く」を大薩摩手法でやる派もあります。刀鍛冶の名前を並べてありますが、竜泉太阿共に中国の伝説上の鍛冶で、昔中国の将軍が川の対岸に渡った時自分の刀をもとの岸の陣に置いて来た所、急に敵が攻めて来ました。将軍は刀を向岸へ置いて来たのを後悔し、あの刀があったら敵を撃破出来るのだがと云うと、対岸よりその刀が龍に化して川を渡り将軍はその刀を得て敵を破ったので以後その名刀を人々が龍泉と呼ぶ様になった故事があります。「勇しき」はムスビアゲで唄の切る所がはっきりきまっています。「蜘蛛拍子舞」も同じです。拍子の合方があり、「打つという」の打物づくしになりますが、クドキと云う人がいますがここはクドキではありません。「打つと云う」は色シヨリと云う手で唄の上げ下げの型がきまっているので勝手な節をしてはいけない、と「長唄の心得」と云う本に書いてあります。「麻ごろも」の切れた所が三味線のテンとなる様唄を切ります。三味線は来序の手
を弾いているので、唄が残って三味線にかかると失礼なことになります。「ひなも都も」のチャンチャンは秋雨の表現、「初もみぢ」のテレレレは紅葉が静かに散る表現、「焦るる色を」は桐山ドメと云う手とのことです。
クルイの合方の中でリンーとこく所がありますが、狐の鳴声の擬音の由です。「火加減」からはサラサラやりますが、歌詞の意味内容をよく理解していないと言葉を並べただけになってしまいます。「ひなも都」などは誰が唄ってもある程度上手く聞かせられますが、「火加減」以下を上手く聞かせる人は本当に実力のある方でしょうね。初演の折は沢村訥升が一人で踊ったようで、この人は後五代目宗十郎、三代目助高屋高助になった人です。
「小鍛冶」はこの曲の外、嘉永五年八月中村座で市川小団次の演じた曲、普通この曲を「今様小鍛冶」「小団次小鍛冶」と云い、十代目杵屋六左衛門作曲、三世瀬川如皐作詞、この曲は文化譜合本二十七編にあります。今一曲は元治元年二月守田座で初演された「優曲三人小鍛冶」で十一代目杵屋六左衛門(根岸の勘五郎)作曲で、「新小鍛冶」「根岸小鍛冶」とも言います。又、昭和十四年九月四代目杵屋佐吉作曲の曲もあります。
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