長唄聞書25「四季山姥」





この曲は御存知の様に十一代六左衛門こと根岸の勘五郎の代表作で、全曲芝居仕立てになっていて非常に巧みに作曲されています。私もよくは判らないのですが、三重は山の三重と海の三重とがあって少し弾き方なりテンポの作り方が異なるそうです。何時ぞや年寄の方が「今のひとは海も山も判らずに三重を弾くので困ってしまう。」と云っていらしたのを耳にした事があります。始めの方は義太夫を巧みに使っています。この山姥のタネ本は近松の「嫗山姥」ですから、一度でも義太夫を御聞きになられる様御すすめします。
始めの「柳桜」の所は常磐津「関の扉」の「いきつ戻りつ」の影響を受けています。ここの唄のツキ方は流派により異なりますから他派となさる時は御注意下さい。「夏はすずし」は芝居の下座で黒みすの中で演じる曲の拝借で、曲名も何時ぞや聞いたのですが忘れてしまいすみません。すずしは涼しと解釈していますが、蚊帳を作る生地に生絹(すずし)がある由です。畳算はもう死語で知っている方が珍しいかもしれません。かんざしを畳へ投げてその立った所から目数を数え「客(或は待人)が、来る、来ない」と云う風に占うのです。花びらを一枚づつ取って行き、愛している、愛していないと占う事を若い女性などが時々やっていますが、これの古典版とでも云うべきでしょうか。三味線もその様に作曲されていますので、御一考下さい。この占いの結果が悪かったので眠っている禿を起して当たりちらしたわけで、同じやるせない気持ちで鳴いている虫の鳴声と云う風に引っかけてあり、虫の音を導入します。虫の合方には作曲者自身のつけた替手があります。この合方は元来「松虫」という勘五郎が作った曲が前にあり、この曲が廃曲になったのでその合方をそっくり持ってきた ものです。原曲の合方は虫の音より砧に重点を於いた合方で、これですと、虫の声と砧の音が調和していると云う事になり「よくもあわせた」の歌詞と合います。二上りは大分後で作曲されて挿入された部分の由で、作詞者は南部教子、毛利家の女中、作曲者自身と三説あります。慈恭師は南部侯をとっていました。「千鳥たつ」の後のキッキッと云う手は千鳥の鳴声の擬音、しじみの鳴声だと云う人とがあり、私も断定しかねます。「笑う声」の後は在郷の合方を使っています。
三下り「冬は」はオンド風になっていますが、川崎音頭系の音頭ではないので、節を振ってはいけない由です。特に「まァだ」の後振落としてはいけず最後の音をかえすのです。振落として大目玉を頂戴した事があります。「ちりちりぱっと」からはツレの面白さで、唄も三味線も一人でも手抜きをされると折角の曲が最後で台無しです。大太鼓入り立廻り合方は芝居でよく使います。「ねぢ切る大木」の大木は切らずに唄えとの事です。



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