長唄聞書21「賤機帯」





この曲についての解説は多くの書物にありますので、細かい事はそちらにゆずります。
御存知の様に山王祭に出す際、与力が一中節にこっていてこれを使おうとした所、舞踊になりにくいので杵屋三郎助(十代目六左衛門)が依頼されて長唄に作曲したもので、この与力は高橋と云い江戸切絵図に家のある場所が出ています。過日そこへ行ってみましたら病院になっていました。ひま人ですね。
解説本の多くを読むと一中節「尾上雲賤機帯」の焼直しをした様な印象を受けますが、さすが十代目で所々拝借はしていますが全然違った曲になっています。殆んど一中節と同じ手は「名にしあづま」の前の序、出にカケリを使った事、「物に狂うは」より「嵐に浪の物狂」迄、羯鼓の所でこれらも上手く長唄にして一中節と不即不離の作曲になっています。歌詞で一中と異なる所は「もくる」「小笹で風いとい」「行方何れと」「里はなれ」と羯鼓の歌詞が全然異なる所です。
前弾と「名にしあづま」は桜の咲いている隅田川の景色を表現する由で、春隅田川堤に一日居てやっと「賤機」の始めの所が判ったと仰っしゃった名人がいました。「行方いづく」は文ヤですが、古曲の文弥節と云っている人がいますがとんでもない間違いです。文ヤは道行によく使う手ですが、文弥節とは関係ありません。「神に祈り」の後の三味線は神前で鈴をならす擬音です。「浮きてただよう」は一中節の七つユリと云う手で、舟が波でユラユラ動いている様との事です。「舟人これを」は流派によって大変違います。研精会の手の時、「気違いよ」でリンとスクウ手が書いてありますが、唄が御上手な方の時は失礼になるからやってはいけない由です。「子を綾瀬川」で三味線は子守唄を弾いています。「土堤づたい」の後の「往きつ」は唄が先に出なければいけません。花すくいの合方は河東節との事です。「川風やな」のなを云わない派がありますが、江戸時代の本にはながあります。「立上り」も立上り方がそれでは爺になるとか子供だとかよく云われました。「そもさても」はまづいと囃子が打てないと怒られます。「尋ねさまよう」の前のケシですぐ出る派と一拍おいて出る派とがあります 。羯鼓はTのトトトンで出るのは「面白の」と「尽さん」であとはVのチチで出ればよい事、最近気がつきました。無意識的にやっていたのですね。春秋社で昔、吉住慈恭の唄を、微に入り細にうがって五線譜にとった本があり、一度これで演奏してみましたが余り細か過ぎてわけが判らなくなった事がありました。
文ヤの事ですが「俗耳鼓吹」と云う本に、文ヤと云える節は文賀と云いし座頭の三味線に弥太夫と云えるもの浄瑠璃をあわせて語りし声なり、よって文ヤと名づくると名見崎惣次の物語りなり。とあります。
梅若伝説に関して興味を御持ちの方は江東区の木母寺へいらっしゃると資料が揃っている由です。面白い材料が一杯あるそうです。



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