長唄聞書20「松の緑」





此の曲は御存知の様に杵屋六翁(四世六三郎)の娘せいが二代目ろくを襲名披露した時に、六翁が作曲した曲です。作詞は作曲者自身かと云われていますが、始めに加藤千蔭の和歌を使ってありこれは「壽」でも業平の和歌を使っている点と共通しているので、弟子で親友であった医者の不及斉あたりが関係しているような気もいたします。作曲年代は不明とされていますが、初演の二代目吉住小三郎が嘉永年間に襲名しており、嘉永七年(安政元年)説が妥当と思います。この年の初演根拠の弱い点は小三郎が同年に没している点ですが、小三郎は二月に脳溢血で急死しているので、正月なら演奏できたわけです。又、初代ろくが死んだのは嘉永四年なので嘉永七年は三回忌となり二代目襲名も意義がある様に存じます。従って初演は嘉永七年(安政元年)正月とはっきり申してもよいと存じます。
釣りをする人が「鮒に始まり鮒に終る」と云われている様に、この曲で始まりこの曲で終ると云えます。ある名人が死ぬ迄に「松の緑」を上手く唄って死にたいとおっしゃっていたのを、御聞きした事があります。正本には長唄となく唄浄瑠璃とあり、従って本調子で上調子があります。浄瑠璃と云うのは薗八節を多く利用している為との事ですが、歌詞をよく見ると女の一生と云うテーマがうまく歌われている気がし、その意から唄浄瑠璃と云ったのかも知れません。
前弾は松風を表現していると云っている方があります。「なおも」は女太夫の節との事で「二葉の色」は一小節長い派があり、これは長い方は文ヤの解釈で短い派は薗八節の解釈かと思います。「吹き通う」唄が切れた所がトトトッと三味線で松風を表しているので上手く切らねばなりません。「八文字」のアトにスガガキをきかせてあり、「けだしつま」のアヽで八文字を踏む有様を出してありますが、短い派もあります。「まがきにもるる」はチャンチャンと二本で弾いていますが初演は三の糸一本だけです。「世々の誠」の所は恋慕ナガシの手との事です。「筒井筒」で一寸「井筒」のクセを使っています。「老となる迄」は研精会派では大変むつかしい節を使っていますが、余り自信がない人は御止めになった方が無難でしょう。落ちる可能性が多い所です。故栄二師に、初演のときにいた人から教わったと云う手を教えて頂きました。
それによると段切が一寸違います。初演の形は「二葉の色」は長い方、「けだしづま」も長い方です。初演が吉住小三郎であった為、吉住の方では大事にしていますし割ときちんと伝承されている様です。
浄観師は「五分でも十分でも演奏でき、唄が充分唄込めると云う不思議な曲です。」と仰っしゃっています。小谷青楓氏は「節のないのをある様に声を綾なして唄い、形としては直線を波線にする様な物で而も出発点と到着点とは同じにならないと三味線に外れてしまう」と云う事がむつかしいと書いています。


(初演の段切)

A



戻 る