長唄聞書2「越後獅子」





この曲は誰でも知っている曲なので、誠にむずかしく難曲の一つです。
オキがなくいきなりとなるのは、前の曲からすぐ早替りして花道から出た為です。軽快に唄う為始めの二字「打つや」「かくべ」をつめます。「音もすみ渡り」は「音も」か、「すみ」かどちらかをつめます。両方つめたり、平にわって唄わぬ様言われました。「一人旅寝の草枕」の草枕はふって唄ってはいけなく不器用にやる由です。「おらが女房」はヤ・オイで唄いますが、花道の振にヤオイは絶対にないと云ってモリ込みで唄う派があります。一つの見識と存じますが一般的ではない様です。「朝夜たび」を麻よるの掛言葉と解釈してどちらにも聞える様に唄う方もあります。「楽しみを」たのォしみとォを一寸はねる派がありますが、女房のノロケを云ったので恥かしく照れた気持ちを表現しているので、恥かしいと解釈しない人ははねぬようです。
「越路潟」は地歌ですから語らず全部唄います。「ししうた」か「しらうさ」かでよく揉めますが、ここは越後獅子を述べている所で、白兎から来ている故「しらうさ」が正しいのです。白兎は保護色で夏と冬は色が変わるので、変わりやすい言葉と云う意に使っています。「雁の便り」は假の便りと、匈奴に捕らえられた蘇武が雁の足に手紙をつけて本国に送った故事に由来しています。ここの間が悪いとアトが弾きにくいので、よく若い人に唄わせて実力をテストする事があります。実力と云えば後の「己のが姿」を二回唄わせるとその人の技量が判ると昔から言われています。「兄やさん・・・」のウミ字のア、は流派により違います。
浜唄は大別すると、表間で出る人と裏間から出る人に分けられます。外国の友人に和風・伊十郎・慈恭各師の浜歌を聞かせたところ、同一曲と言う事を信じなかった事がありました。先人が色々工夫した型があります故、各自御研究下さい。初めは松風からまつかと唄い二度目は紅葉からまッかと唄う様言われた事がありました。一度目タテが「来る」を上に持って行った時、ワキは「好い」を上げません。タテに対する礼儀との事です。
「おのが姿」は大変むつかしく二度返した時は何処か変えて唄います。二度返す所は、一回目はキチンとやり、二度目は洒落たり音を変えたりしてもよいそうで、初めにやってはいけない事になっています。例えば「そこのおけさ」を初め平に唄い二度目は三味線につくとか、「言われ」を初めはふらずに二度目はふるとか言った様な事で変えます。「ねまりねまらず」を二回目の時ねまァらと節をつけるのは伊三郎の型の由です。
「向い小山」は大変エロチックな文句を巧みに書かれていると申します。一寸考え過ぎではないかと云う人もいます。ともかく唄、三味線とも大難行で、私など死ぬ迄にちゃんと出来るかなと常々思っています。
サラシからは唄は割と楽ですが、三味線につかぬ様、つかず離れずで唄わぬと実力がはっきり出ます。「女波男波」の男波の方を一寸強く唄うよう言われました。「見渡せば」「打ち寄する」と重なる言葉は何処か変える工夫が必要かと存じます。「さらす細布」でツレが張らないと曲が終りに来て滅茶苦茶になります。ここのツレだけ一時間半稽古された事がありました。
この曲は作曲者九世六左衛門より六本で演奏する様指定があるそうで、長唄現行八百曲中調子指定のあるのはこの曲だけです。



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