長唄聞書19「五郎」





正しくは「時致」で、時々「時宗」とかいてあるのを見ますが、江戸時代の正本、稽古本を数多く見ましたが「時宗」と書いた本はありません。私などは子供の頃から聞いているのでそんなには思いませんが、初めて耳にして覚えるのは非常にむつかしい曲と存じます。
始めの外記がかり序の弾き方で、五郎の年齢・格好・性格が出なければならず大変です。私は何度も演奏会でこの序を聞く時、三味線方でなくてよかったと思います。一生かかっても表現できそうもありませんからね。何時ぞや五三郎師と放送御一緒させて頂いた時、この序を伺い偉いものだと思ったことがありました。「去る程に」の唄も、若武者と解するか、廓通いの若人と思うか、終りの現人神としての位どりをとるか、解釈によって唄い方が異なると存じます。「倶不戴天」は昔は「さいてん」と唄ったらしく、明治になって三世勘五郎が『露の囀文』で「たいてん」に改めました。その時「鷺草」を「さいたづま(虎杖)」と改めました。しかし「すみれ鷺草」と云うのは昔からの対語ですから改める必要性はなかった様にも存じます。
「雨の降る夜」は流派・人によって字ツキが異なりますので神経を使います。この曲は舞踊曲形態をはっきりとっていますが、カタリクドキの場所が逆になっている稀少な例です。「化粧坂」を鎌倉と書いてある本がありますが、大磯に化粧坂があり昔ここに遊里があった由です。鎌倉と書いた方は調査不足です。「とかく霞む」は唄と三味線と打合になる十代目の好きな手です。「勇猛血気」のあとワキから「その」としっかり責任をもって出てくれないと、ワキに座っている資格はありません。「勇ましくも」の勢がかりは長い派と短い派があります。「健気なり」のオトシはふって唄うと怒られます。「庭の梅」の後三味線で鶯を出しています「あれそよそよ」の所は流派によって囃子の手が随分違います。
「春風」は大分しぼられました。それでは秋の風だとか大風だとか冬の風だよとか散々云われました。五郎は名曲と思いますが唄・三味線ともむつかしいですね。



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