始めの「見渡せば」の置唄は、稀音家浄観作と杵屋勝太郎作の二種あります。初演の天保元年三月の時は「葉越の月安宅古例」を引抜いて官女となったので、初演の時から歌詞だけあって作曲されていなかったと思います。名人二人の作曲だけあって夫々特色のあるオキ唄になっています。
今の舞踊を見ていますと殆んどが海女の姿で踊っていますが、初演の正本の絵を見ると、長袴をはいて肴の台をのせた形になっています。これですと始めの二上りの所はそんなに早く踊れなかったではないかと思います。馬鹿に早く弾いたり唄ったりする方がいますが、やはり丁寧に演ずるべきでしょう。「内裏風俗」の所は一寸気をして位どりをして、「小鯛」へ行く様に云われました。「塩焼くけむり」のりの扱いで煙が上って行く様な感じになります。ここの吉住慈恭師のは絶品で、海辺の感じと塩を焼く煙が立昇る感じが出て凄いものだと思った事がありました。下手な人がまねると火事の煙か煙草の煙になる様です。「立ちし浮名」は一拍づつ唄と三味線と打合わせになるのでむつかしいです。息使いがまづいと出来ないと思います。「捨小船」はやり方によって「心づくし」より、もうかります。「心尽くし」は琴唄ですから綺麗に唄うべきで二上りの音を使っているので一寸でも滅っては全然ひどい事になります。「明けくれに」を名人方は一息でやっていますが、私はどうも未だに出来ず残念です。「赤間が関」は赤間が関とせきせかれのかけ言葉ですから、息継ぎの工夫がい
ると存じます。「寒き」のあとのドテチンは雅楽の表現です。日吉小三八先生のここは特に絶品で、海辺の寒い感じと月が照っている感じが出これ又凄く、真似出来ません。「まつの葉の」のまは音を滅らして楽をする人が多いですが、ここは随分やかましく云われました。三下りは浜唄で何時も申しますが船唄ではありません。この区別をはっきりすべきです。第一の唄と第二の唄と微妙に異なっていて、全く同じに唄う人は勉強不足です。名古屋の三太郎師の替手がありますが一寸面白い手です「うや辛や」のオトシはむつかしいですね。ここの上手い演奏は、慈恭、小三八両師の以来聞いた事がありません。「波の」は始めから戦争になってしまう人がいますが。浜で波を見ている内に段々戦争の事を思出して行くのであって「壇の浦」で船戦を導き出すべきでしょう。「春の夜の」は流派によって大きく二つに異なります。これは観世流の手と喜多流の手の解釈の相違と伺いました。地唄の「八島」の手の借用ですから地唄を一度御聞きになるようおすすめします。
この曲は唄う所と語る所が巧みに配されており、唄う所を語る、語る所を唄うと云う勉強によいと存じます。三味線も上手い方のを聞きますと唄など必要ないと思う程、内容表現がある様な気がします。
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