長唄は色々な流行の時代がありまして、声の呂がきくのがよい時期、カンが綺麗な人が喜ばれた時期、内容を掘下げた表現を第一とした時期等ありますが、幕末に声が長く続くのがよいと云われた時期があり、この曲はその頃のものです。一寸前は声の大きいのがよいとされた時で「拍子舞」の「それより世々の」と唄った途端、張立の障子が破けたと云う伝説もあります。明治中期に入れた先々代和楓の「鞍馬」のSPがありますが、「それ月も鞍馬の」の時間的長さと美声が長く続くのに驚かされました。SPは片面大体三分ですが「恐ろしき」迄入っていなかったと思います。レコードは曲が出来てから数十年しか経ていませんので、初演の頃はこうした演奏であったかもしれません。
余り解説書にかかれていませんが、初演の時は初めの大薩摩とセリの所だけで、全曲今の形には芝居が終ってから勝三郎が作り直した由です。初めの「貴船川」は綺麗に唄えと云われました。「ここに源家」の前の合方は義太夫の手なので、うっかりすると「野崎村」になり易く舞台で失敗なさった人に二三回遭遇しています。間違いと云えば「ひぢ枕」を「ひざ枕」と唄った人がいて、当分の間ここへ来るとどちらだったかなと迷いました。次のセリ合方は、昔は人力でセリ上げをしたためギコギコ上がって行くのでその様に作曲されているとの事で、今の演奏は電気で上がっていくセリの弾き方だと古い方が嘆いていました。歌詞が流派によって異なるので困りますが、安政三年版の本によりますと、「出家をせよと当山に」「預けられしも」「星霜ふれば」「今目のあたり見たる夢(にはなし)」「木太刀かまえて」「あしらへかね」となっています。江戸時代はえとゑと、いとゐと違い、ゆでもいでもなくその間の発音(例えばかわゆらし)もあり山手と下町では発音が違うとか色々問題がありますが
、学者ではないからとらわれずケースバイケースで研究して下さい。但し江戸ナマリと云った、おもい、こい(恋)、ねん(念)など、なまった方が効果的な時もあります。
「父の仇」は泣いている感じとの事で、このウレイはよく出て来る手ですが、チン・ヒフミヨオイと云うと唄い易いです。「願えば」のチレチレは長い派と短い派があります。「又もや怪し」の前の合方は鈴(れい)の表現との事です。「しや小賢し」で後がわからなくなり牛若丸を石童丸と云った方がいます。「両人」は「病人」に聞こえがちなので注意しましょう。「僧正坊」は上から出る派と下から押す派とあります。こゝの上調子はノットの変形の手で「船弁慶」でも使っています。「晦まし」は勿論「鞍馬」のカケ言葉ですからその様に唄います。三重は唄は苦しいですが楽をして逃げる様なことは止めましょう。「上段下段」でよく、そんな唄だと切殺されるよと云われました。
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