長唄聞書16「勝三郎連獅子」





御存知の様に連獅子は、勝三郎と正治郎の二曲ありますが、どちらも名曲で甲乙つけがたいです。勝三郎が住んでいた馬喰町は昔、初音の馬場があった所で通称馬場と言い、この為勝三郎連獅子の方を馬場連と言います。
正治郎の方は瀬戸物町に住んでいたので瀬戸連と言います。御年寄りばかりの演奏の時、ババ連ですかと言った為皆怒ってしまい困った事があったそうです。口は災いのもとですから、なるべく馬場連という略名は使わないようにしています。
始めのオキの作曲は実に巧みで、上手い方がなさると情景が目前に浮かんでくる気がします。声の巾と重さと、何より品位が必要で、下手な人がやると音譜の再生で電気の合成音楽みたいになってしまうようです。「峰を仰げば」の峰を上で唄う人と低い音でとる人と二種ありますが、どちらも間違いでない由です。「流れに響く」は苦しいですが流れにからウラ声へ持って行くと割と楽で目立ちません。ここはあっさりやる派とゆっくり振落す派がありますが舞踊の時は後の方です。「松の風」の風は絶対息を切ってはいけづ一息でやる様言われました。「ころころころ」と三つありますが三つとも変えて唄う由です。「突落す」はこの曲の眼目で、子を憎いと思う親は何処にもありませんが、剛臆をためす為に大事な子を谷間へ突落すのです。うまく駆け上がってくれゝばよいがと言う願望と、もしかしたら駄目かもしれないと言う不安の気持の両方が交った親の複雑な心理状況があるわけで、この一フレーズでそれが表現出来れば大成功と言うべきでしょう。申遅れましたが「剛臆ためす親じし」のは慈悲のにひっかけた言葉だと言っていらした方がありました。
「猛き心の荒獅子」のの音を上げて唄う派があり、獅子の強さを現している解釈で、上げない派はまだこの時は狂言師は演じているのだからと言う解釈らしいです。昔、荒獅子のオトシをふり落したら、獅子が浮かれていては困るねと御叱言を頂きました。
二上りは余りむつかしい曲節ではなく、牡丹が一面に咲きそこに獅子がたわむれている様を念頭にえがきながら演奏するように言われました。「舞遊ぶ」の後のチチンは牡丹にたまっていた露がポタリと落ちた様、今一人の方は、牡丹の花びらがヒラリと落ちた表現と言っていましたがどちらでしょうか。
「風に散り行く」から後はすばらしい作で日本人よりむしろ外国人の人が感心していました。クルイは獅子が二匹なのだからそのつもりで弾かなきゃおかしいよと、ある大先輩が申されていました。「獅子団乱」は唄は苦しいですが力を一ヶ所でも抜くとどうにもなりません。正攻法で当るより方法はない様です。作曲者の事を鬼勝と言うのは、若い時疱瘡をわずらってアバタであった事と、腕が鬼神の様にまわった為と言われています。



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