この曲は長唄と常磐津と両方にあります。二世立川焉馬が作詞して両派に作曲させた為で、このコンクールは長唄の方に軍配があがったようです。常磐津の方は岸沢三蔵が作曲し天保八年九月池田信濃守邸で初演され、曲は現存していますが余り上演されません。長唄は十代目杵屋六左衛門が作曲し、天保九年閏四月二十八日池田信濃守邸で初演されました。一般の解説書や譜本には天保十年と記されていますがそれは正本の出版された年であり、根岸の勘五郎の「御屋鋪番組控」の天保九年同月の所に記載されています。
曲は全曲三下りですが、始めの「大江戸の」から「武蔵野の」迄は本調子の手付で作られているので、その気持ちで演奏する由です。
「尾花や」は深川の有名な料亭の尾花屋と尾花やをかけてあるので、「尾花や」を平に唄い、やのウミ字のアをユクリ両方の意にとらせるわけで、このユクリは大事です。ユクらないと尾花屋だけの意になるし、やからユクると尾花や招く、の意だけになり作曲の意図が消えてしまいます。「きぬぎぬ」の所の3−2−3−2−から3232と半分の間にするのは十代目がよく使う手法です。「ごんとつくだ」の手は鐘の擬音です。「玉づさ」のウラ撥は雁の文字の蘇武の故事をふまえた洒落ではないでしょうか。クドキの「心をひかれ」は色々な歌詞がありますが、正本は「しっぽりぬるゝ」になっています。同じく「雪の暮」は「雪のはだ」になっています。「洲崎の浦」は唄と三味線のかねあいがむずかしく、ここが上手くはまって唄えると何時もホッとしますが、仲々うまくできません。「うたがい晴れし」が又難関で、三味線の人に変な所でヤッと言われるとウラ間でもつい出てしまうので怖いです。唄うたい殺すに刃物はいらぬ変な所でかけりゃよい、などど言う歌がありそうです。
舞踊会で「紅の花」の所を唄っているとき舞台の横から鼻の赤い年寄りの人が偶然顔を出したので、皆でゲラゲラ笑っておこられた事がありました。最後の「立川の」で作詞者の立川焉馬をきかせてあります。
前弾を演奏する事がありますが、一般的のものは山田抄太郎作曲の由で、外に杵勝派のものがありますが大変むつかしいです。佃の合方は、上りと下りの手がある由でよく御研究下さい。
古老の方が「今の人は佃の上りも下りもわからないのだから困る」と言っているのを耳にした事があります。杵屋栄左衛門師の「歌舞伎音楽集江戸編」四五〇頁に佃合方が説明してありますので御参照下さい。
尚、正本に「きぬぎぬならぬ」「山鐘」の間にもと言うミスプリがあります。いが屋勘右衛門板の天保十年刊のものですが御気をつけて下さい。ともかく、唄、三味線とも高度のむつかしい曲と存じます。
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