長唄聞書13「梅の栄」





酉の年にちなんでこの曲の御話をしましょう。明治三年に杵屋正治郎が岡安喜三梅との婚礼祝に作曲したとどの解説書にも書かれていますが、最初の本には「歳旦梅の栄」と書かれています。杵屋いそ様より伺ったことですが、婚礼の時の演奏には正治郎のワキを勝三郎の妹が弾いたそうで、絵のついている本ではワキが彦次郎になっているので話があいません。この奥さんの喜三梅は九代目団十郎の所へ娘さんの稽古に行っていて、その折に「枕獅子」の稽古を九代目が聞き「鏡獅子」の誕生となった事は有名です。九代目の娘と申せば翠扇・旭梅の二人があり、明治二十年にこの二人が「梅の栄」を踊った時、作曲者が舞踊に適する様段切を改作しました。その改作の手を記載します。この手の方が囃子と合うそうです。小谷青楓氏は通説と違って岡安喜三郎の大ざらいの時に出来た曲と書いています。
前弾が終わって「鳥がなく」の前に鶯を聞かせる事がありますがこれは間違いで、この鳥は鶏であり、鳥がなくと云うのは東にかかる枕詞です。この語源は平安時代に東えびすの言葉は鶏がないている様な荒い言葉だと云われていたので、の枕詞になったそうでいわれを聞くと余りよい意味ではない様です。「白妙やンまだ」はだと聞えるのでンなどは余り強く云わぬ方がよいです。「残んの雪」の後の短い合方は地唄「雪」をきかせてありうまい作曲です。「四方にわたりて」は流派によって出る所とハマリが違いますので御注意下さい。潯陽はんようか、んようかとよくきかれますが、正本は濁ってじんようになっています。舞の合方終って二上りになりますが「ほのめく色の」の所の手が研精会系だけ異なりますが、ここは研精会系の手でない方がよい様に存じます。「開く扇」は上で唄う派と下から出て上げる派がありますが、正治郎の作曲は上で唄った由です。ただ下から上げて行くと扇が徐々に開く感じがしますので各自の解釈におまかせします。「鶯の」ウミ字のウは鶯が枝から飛移る情景との事で、時々大鷲の様な鶯を御出しになる方がある様 で苦笑させられます。「にこ羽子のこ」のにこは花がパッと開いた表現だと解釈している派があります。喜三が春は奥さんの喜三梅を唄込んだと云われていますが、小谷氏は家元の喜三郎の名を当込んだと云っています。琴の合方もうまい作曲ですね。只、余りガムシャラに弾まくると品が悪くなります。曲全体が初春らしく品が良く出来ているので、品の悪い演奏やキザったらしい演奏はいやですね。段切は琴唄の終りの気持ちでやっています。


尚、下の譜は栄二師・五三郎師に教えて頂きました。



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