長唄聞書11「神田祭」





最近の「神田祭」を伺っておりますと大分乱れていて、特に囃子の初演の望月太左吉師の苦心の作調を変えたり誤解をしている方がいる様に思えますので、少し長い様ですが作曲者稀音家浄観師の談話をのせます故よく覚えておいて下さい。
「『神田祭』は研精会第百回記念新曲として発表、作者の幸堂得知さんの御注文にもとづいて、山車と附け祭の囃子を取入れるのが大体の目的でありました。神田明神の御祭礼は九月十五日でその明方夜の白々明けに、鶏と猿の山車が真先に明神の鳥居先から繰出します。「ほのぼのと」ここでは「宮しょうでん」と言う囃子を用います。これをはやすと山車を曳いた牛が、のそのそ歩き出すと言う心持ですね。「一番鶏は」と一番に大伝馬町の鶏の山車、「二番の鉾は」と二番に南伝馬町の猿の山車、この一番、二番の山車の間はドンドンカッカと大太鼓だけを用い、三番の翁の山車から神田丸という囃子を用い三味線を付けます。神田丸の後が屋台囃子、それにもとづいた三味線で大いに苦心しました。これは山車が少し動き出して早くなった所です。それが打上ると「狂言かっこ」という囃子になり、山車と離れて踊屋台が続いて来た心持を聞かせます。それが済むと渡り拍子と言う囃子、それをきっかけに踊屋台が停まると言う心持です。「昔より恋と」は踊屋台の踊りの浄瑠璃になって踊り子が踊り始めた心持ち。その一トくさりがすむと、四丁目と言う囃子になって「追われ追われて」からまた屋台 囃子へ戻ります。それが打上るとキヤリになりキヤリの間にドロンドロンと神輿太鼓がはいります。それが通ってしまうと、又屋台囃子に戻るので、これで行列ばやしが残らず組入れられたことになります。」
その外諸先輩の方々から伺った事を申上げます。「御祭礼御祭番附」は番附けを売って歩いている人はやゝ年寄りの方が多かったそうで、余り若々しく派手にやってはいけない由です。「八つ八通り」は木の札を上下に動かすと絵が変る玩具を売っている声で、何時か舞踊の会で狸の綱渡りの振りをつけた人がいて思わず笑ってしまいました。「七つの鐘」は午前四時。二上りのトンは鐘を表現しているので本来は一つが本当ですが、譜本では二つ弾いていますが構わないでしょう。「ほのぼのと」はキヤリの節との事。「所望」は譜本より、チリチンを少なくやる人が多い様ですが、ここは狂言羯鼓なので多い方が正しいそうです。浄観師に伺いましたら「唄が伸びたら余計弾けばいいし、短かったら弾かなきゃいゝよ」と仰っしゃっていました。本調子はクドキだと思っている人がタマにいますが、屋台の上で踊っているのは子供ですから、サラリとやるべきです。ここは割と皮肉な節付で意外に苦心します。「愛と愛と」のところはアが三つ重なるのでその扱いに注意する様、やかましく言われました。「あとの所望」のくだりは切る所をうるさく注意されました。譜本にはキチンと書いてあります。キヤ リの「中綱」は泣かずなの意もかけてあるそうです。「桜の馬場」はうまく出ないとハズンでしまい恥をかきます。この曲は正式には「百夜草下之巻」と言い、百夜草とは菊の異名です。上之巻は一度子供の時に聞きましたが、影も形もありません。御存知の方は恐らくいないでしょう。



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