長唄聞書10「浦島」





この作曲者についてどの解説書も杵屋三郎助(十世六左衛門)と書いてありますが、この原曲は文政八年正月大坂角座で三代目中村歌右衛門が一世一代で演じた「日本新玉九尾化(よせてあらたにこゝのばけ)」と云う変化ものの一つで、作曲者は杵屋正六です。狂言作者は金沢竜玉でこれは三代目歌右衛門のペンネームです。この四年後に江戸中村座で二世中村芝翫(四代目歌右衛門)が演じた変化物「拙筆力七以呂波」の内の「浦島」が今日演じられている曲です。この折の正本を見ると三郎助添削と書いてあって作曲と書いてありません。昔の人はこう云う点大変義理がたいのです。歌詞を両方くらべてみると大分異なりますし、三郎助の好きな手が出てくるので随分編曲をしたと考えられます。
杵家派に伝わる三下りの「伝えきく」以下は江戸正本にはのっていませんが、誠に貴重で皆様で大事に伝承して行って頂きたいと切に思っています。二上りは関西に伝わっている手と大分異なると渥美先生はいっていらっしゃいましたが、私は残念乍ら聞いたことがありません。この方が原曲に近いのでしょう。
前弾の三重は海の三重とかで、山の三重とは弾き方が違うのだと言われたことがありましたし、何時ぞや演奏会で後に座っていた御年寄が「近頃の若い人は海の三重も山の三重もわからないで弾いているのだから困るね。」と云っていたのを耳にした事があります。私自身どう違うのか具体的によくわかりませんので、皆々様御研究の上御教え頂きたいと御願いする次第です。
唄では息がつまって死んでも歌詞を切ってはいけないと云う所がありますが、「和田のはら」がそれで必ず一息で唄わねばなりませんし、海の大きさをここで表現できなければこの曲をやらない方がましかと存じます。この三下りの部分はカケ言葉が多いので苦労する所です。ヤソの浦島と云うのを聞いた人が浦島はクリスチャンだったのですかと、真面目に質問されたことがありました。「沖の洲崎」のトンチチン・トンチリトンは云う迄もなく波の擬音です。木曽路山へ何故浦島が出現したのか不思議ですが、木曾の寝覚床に臨川寺と云う寺があり別名を浦島寺と云います。こゝに浦島が使った釣竿と云う妙なものがあります。落語に云う頼朝公のシャレコウベの口です。しかし大変すばらしい御寺の由です。
横道にそれましたが、「花の色香」の所はワって唄う派とワらない派があります。踊りの時は必ずワラないと踊れません。ワる時は「ンつい」とンを云うと唄い易いようです。「空定めなき」は三郎助の好きな手ですね。花曇りを表現する様に唄えと云われましたが、仲々簡単に出来るものではありません。「よもぎが浦の」を島と云う派があります。原作の方は「よもぎが浦に」となっています。江戸の正本は「よもぎが浦の」とあります。
江戸時代に「浦島」の曲は外に三曲ばかりあったそうですが伝承されていないと思います。



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