六つの花とは雪の異名です。結晶に六角の形が多いのでこの名が出来ました。慶応元年(1865)十月守田座の「花錦駒道中双六(のりかけどうちゅうすごろく)」と云う狂言の中に、本狂言と関係なく挿入された「だんまり」の地で、本名題を「六花桜故事(むつのはなさくらのふるごと)」と云います。
作曲は五代目杵屋弥十郎、作詞は狂言作者が松島粂助・松島庄作なのでこの人かと思いますが、渥美清太郎は狂言堂左交(三代目桜田治助)をとっています。児島高徳を三代目市川九蔵(後七代目団蔵)、楠正行を四代目中村芝翫が演じました。唄は五代目芳村伊十郎(後六代目伊三郎)、三味線は作曲者の杵屋弥十郎・ワキが六太郎ですがこの前後に六太郎の名が外になく十代目六三郎になった人ではないかと思います。上調子が入り杵屋竹次郎と初演正本にあります。
大薩摩で始まりセリ合方となります。この合方は下座音楽で「六つの花合方」として大小入り立廻り合方で使用します。児島高徳が桜の木を削り詩を書く所へ警固の者がかかり立ち廻りとなりますが、まことに面白く巧みな作曲です。今藤綾子先生は冬の名曲としてこの曲を挙げておられましたが、本当に名曲と私も思います。替手が大変効果的に使われています。段切三重で終りになります。この曲は各派で余り手の違いはありませんが、少しづつ、例えばシャシャンと二本で弾く所を一本で弾くなどの違いはありますが、文化譜の手が一般的な手のようです。
曲の初めは楠正行に関した文句で「景色を湊川は見る」と云う言葉と、楠公の碑のある「湊川」にかけてあります。児島高徳は小学唱歌にその歌があって、戦前は知らない人は居なかったと思います。児島高徳が隠岐へ流される後醍醐天皇を御助けしようとしましたが警固が厳しく、止むを得ず桜の樹を削って「天莫空勾践、時非無范蠡」の五言の二句を書いたと言う話です。子供の時ですから皆珍プンカンプンで意味も判らず覚えましたが、越王勾践の故事で、今御運が無くても忠臣が必ず居て御助けする、と云う意です。この出典は「太平記」巻四にある話で、高徳に関しては古文書や正確な資料がないので、架空の人物ではないかと云う説もあります。太平記の作者は小島法師円寂と云われていますが、「太平記評判秘伝理不尽抄」に高徳入道義清がありますので、小島法師と児島高徳は同一人物であると云う説もあります。このように児島高徳については多くの問題があり各説があります。調べ出すとキリが無く面白いです。
児島高徳の場に楠正行が出てくると云うのは一寸不思議に思われるでしょうが、前に天明六年(1786)十一月中村座「袖振雪吉野拾遣」、で幕開きに楠正行が桜の大樹に向い楠流軍学の軍諺「非理法權天」を書いて高徳の見立をしたので、それにならって正行を登場させたと思います。この「六つの花」は名曲でもっと流行ってよいと思っています。
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