長唄聞書69「助六」




 歌舞伎十八番狂言の内「助六」は特に人気のある芝居ですが、その典據は上方にあり、京都で侠客の万屋助六と島原の遊女揚巻の心中事件がありまして、延宝六年(1678)「万屋助六心中」という浄瑠璃が出来たのが初めです。江戸では「花館愛護桜」が正徳三年(1713)四月山村座で二代目市川団十郎が助六を演じ、これが今日の「助六」の初めと存じます。それより幾度の工夫、変還を経て今日の型になりました。カットをしないで全部通しでやると、一幕なのに三時間余もかかるという世界中に全く例を見ない狂言です。
 助六の花道の出に河東節を使いますが、これを基にして十代目杵屋六左衛門が作曲した曲が長唄「助六」です。天保十年(1839)三月中村座で四代目中村歌右衛門が演じた八変化所作事「花翫暦色所八景(はなごよみいろのしよわけ)」の中の一曲です。初演の時は置唄「咲き匂う」が無く「傘さして」から始まりました。再演の安政四年(1857)三月中村座で、初代中村福助(四代目中村芝翫)が演じた「助六姿裏梅」の時、置唄がつけられ今日の型になりました。昔は山の手では今日の型、下町では「傘さして」から演じたそうです。
 吉住慈恭師が『私の長唄』で「助六の姿をあらわすように花やかに、こんもりと、品よく、河東の心持で唄えばよろしいのです」と言っておられます。曲は河東節を下敷きにしているので普通の長唄と違った大変むづかしい高度の曲です。作曲にあたって河東節の「助六由縁江戸桜」「助六廓の家桜」、長唄の先行曲「助六定紋英」、九代目六左衛門の「女伊達」を参考にしています。十代目の夫人が河東節の名手であった由なので、助言もあったかもしれません。
 オキ前弾は河東をとっていますが、巧みに避けてあります。「咲き匂う」を河東オトシの型で演じるのは誤りです。出の合方は二度返しますが二度目を早く演じます。好きな女に早く逢いたいという気持を出すそうです。「出立ちばえ」迄河東の地ですが河東節にもろになってはいけないと厳しく言われています。「一つ前」は一つを唄ってを語る様に、「出立ばえ」は河東オトシの定型ですから恥をかかぬように演奏したいものです。「急くなせきやるな」は『山家鳥虫歌』に原型の歌詞があります。車が廻っているように演奏する事、と昔から言伝えがあります。「恋の夜ざくら」は純粋の長唄です。初演も再演も朝顔仙平と門兵衛がからんだようです。「富士と筑波の山間」とと唄う二種あります。初演再演本とも「山間」です。『廓の花道』の本は「山間」です。間(あい)を藍にかけて藍の袖なりの意と書いた本があり、のの方がよいかと思います。長唄は大体終りがそんなにむつかしくないものですが、この曲は最後の所が一番難所です。河東の本調子の所を、三下りで同旋律を演じる為かもしれません。

                  

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