長唄聞書66「翁千歳三番叟」




 能では本曲を「能にして能にあらず」と云い神聖視された儀礼曲として、特に大事にしていますが、長唄でも同様です。一説によりますと翁を天照大神、千歳を八幡大明神、三番叟を春日大明神に例え、この三体の神の影迎が現われて御祈りをいたす、と申伝えられています。能の別火程ではありませんが、やはり精進潔斎をし演奏するのが心得となっています。研究書・解説書は数多くありますので御調べ下さい。ともかく大変な曲です。
 十代目杵屋六左衛門、一世一代の傑作と存じます。作曲は『邦楽年表』に安政三年とありますが、『御屋敷番組控』天保二年に既に記載があり、秋葉芳美説によると文政八年九月河原崎座「式三番叟」の記録があるので、幾度かの過程を経て出来たものと思われます。天保元年冬十代目を襲名したので、この時正式に発表された曲ではないかと思います。
 二上り「四海波風」以下は十代目の創作ですが、河東節「翁千歳三番叟」を大分根底においています。町田先生に御聞きした所によると初代河東が半太夫と分立した直後、半太夫に門外不出の秘曲「翁千歳」があったのでスパイを放って曲を習得、最後の田植唄の所を文七節に改めて自流にしたそうです。
 長唄第一の難曲中の難曲で、単に音が合っている、間を間違えないと云った単純なものではなく、演奏者全員の呼吸がピッタリ合い品位のある演奏をする事が第一です。五挺五枚の演奏でしたら全員がタテを出来る人でなければならず、囃子も最高の方々でなければよい演奏は出来ないと存じます。五十年に一度位すばらしい演奏が出来るか疑問です。
 今迄多くの名人方の演奏を伺いましたが、特に五代目吉住小三郎師の「そよやん」は背筋がゾッとする程の名演で空前絶後と思います。日吉小三八師に我々は教えて頂きましたが、普段の稽古も厳しいですが、特に「翁」の稽古は壮絶をきわめ凄かったです。三月かかってやっと「万歳楽」迄でした。
 終りに稀音家浄観師の御話を紹介します。
 「研精会が始まって以来、毎年一月の発会には必ずこの『翁三番叟』を勤めますが、研清会と別会を合せて三百何十回ですから、凡そ四十年の間に四十回足らずも演奏しておりますが、未だ一度も満足に弾けた事はないのです。それ位むつかしいもので、唄・三味線の工合がよければ、鼓の工合が悪いと云ったようなわけで、仲々むづかしいのです。この曲ばかりは一つうまくやろうとか、聴かせようなんて邪心があったら所詮はやれぬ曲であります。心身とも清らかに何の念もなく、すがすがしき気分でやらなければなりません。そこがとてもむづかしいわけであります。それですから奏ずる度毎に、作曲者たる十代目杵屋六左衛門師に感謝の念が頻りに湧出まして、どうしてこんな作曲が出来たものかとつくづく感じ入ります。私は弾出す前に必ずその作曲者たる人の名前を心に三度念じて、それから始めるのを例としております」

                  

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