この曲の初演は文化九年(1812)六月で、作曲者四代目杵屋六三郎(後六翁)がまだ若い時の作で、その為大変意欲的な面白い曲です。森田座「行平磯馴松」第一番目大詰所作「恋男調松風」で(しらべのまつかぜ)とのが入っています。『歌舞伎年代記』には「形見忍夫摺」と云う題になっていて、番付と正本とは曲名が異なるようです。
いわゆる「松風物」の一つで、この曲では松風の娘小ふじ(この名が書いてなく単に娘とした正本が多い)となっていて浅尾勇次郎が演じました。この為この曲を「勇次郎の汐汲」と称する事もあります。相手役比兵衛は中山豊五郎で、この人は三代目中山文七の門弟で文五郎と云いました。『年代記』に「一頃中芝居へ出候に付文字を書改む」とあります。面白いのはこの人の俳号で美男と言います。芝居絵で見ると全く正反対なのですが・・・・・・浅尾勇次郎は後初代実川額十郎になりました。この人の俳号は延若です。
タテ唄初代岡安喜三郎は「稀世の妙音にして、終に名人の称を得、実に中興岡安の元祖と称すべし」といわれた人です。節廻しの大変細かい所が多いですが、この人の型が伝わったのかもしれません。
全曲三下りで、海の三重で始まります。「その面影の派手姿」までがオキで出となります。「汐の重さ」の前の手はドンブラコの表現です。「歩みくる」の本舞台へかかります。「旅人は」は正本にはウタイガカリとありますが柔らかく演じます。解説書の中に「古今集」或いは「新古今集」巻十在原行平の歌をそのまま持ってきたとありますが、この二つの和歌集にはこの和歌はありません。「続古今和歌集」の誤りです。
「月の口舌か」は小谷青楓『長唄をとく』に、当時の有名な名文で「晝寝の種となるものは月の口舌か蛍の悋気」とあるものから取ったとあります。「蛍の悋気もつれ」とつながる所の節は喜三郎の型です。「乱れ髪」の後三味線二本の糸で弾く方がいますが誤りです。「憎くらしさの顔わいな」の後正本には「此間セリフ」とあります。
次は太鼓地で「首尾を」と「思う片帆」と二度返しになります。ここの唄は真にむつかしくよく御研究頂きたいと存じます。「面白や」の後合方を返す人もいます。又「松に等しきこの姿」の後合方も返す派がありますが舞踊との関係でしょう。
「既にこがるる舞の曲」のあと正本には「此の間舞」とあります。この合方を狂乱と解釈する方がいますが私はそう思っておりません。先代田中伝左衛門師は「もとは舞の二段目、つまり位としては中の舞を打っていたが、ここはすでにキリに近く破の位になるべきであるので(破の舞)に改めた」と書いていらっしゃいます。
杵屋栄二師は栄蔵師御母堂六葉満師に教えて頂いた由で、日吉小三八師が「栄二師の調松風は絶品だ」とよく言っておられました。
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