長唄聞書58「唐女」




天保七年(一七三六)正月森田座「世界春再鏡(せかいのはるまたのかおみせ)」の第二番目大切所作事「拙手際接穂鉢植(まだふてぎわつぎほのはちうえ)」、二代目市川九蔵の四変化所作事の一曲です。角書に「振も未熟な咲分の大牡丹は改名の御礼」とあります。この人は関西から江戸へ下り、白蔵から九蔵と改名しこの角書に意が入っています。
作詞は三升屋四郎で、作曲は二代目杵屋長次郎です。この長次郎は名人六翁の実子で、天保十一年五代目六三郎になりました。本郷附木店(つけきだな)に住んでいたので通称本郷の六三郎と云われました。名人の素質があり将来を嘱望されていましたが、嘉永初年に若くして他界してしまいました。残された作品は従って数が少く、「色も変らぬ」の「島台」のみです。今回復曲にあたって、作品が他に多くあると参考にして作曲者の手法がある程度判るのですが全く無く、弥七師も大分苦労されました。タテ唄が後に、二代目富士田音蔵になった新蔵で、又ワキ唄が後に二代目吉住小三郎になった芳村伊十郎なので、この方々のワケ口からある程度音使いが判ります。特に「香りはさめぬ」の所など小三郎の語り方が残されています。この二人は天保三名人と云われた内の二人です。
曲は本調子「それ艶陽の」の外記ガカリで始まり「三千代草」までがオキ、出の合方はセリではないように思います。「数えも尽きじ」「結ばれ草や」「二十五の絃」など音蔵の型が残っている感じがします。「御遊もつきぬ大和歌」のあと合方の所から二上り、「あら面白の」と「遊びたわれつ」のカエシは羯鼓と思いますが普通の羯鼓の手とは意識的に変えているようです。「唐女」の曲名なので、一般的手順をワザと変えている所が曲中多々あります。段切は琴唄を使っていますが特殊な形で大変むつかしいです。
この曲は杵家派にのみ伝承された貴重な曲です。初代杵屋弥七は、本名松井八十吉と云い杵屋八十吉で出演していましたが、この興行の時初めて杵屋弥十吉として出演、従ってこの曲が弥十吉名義の始めの曲となり、その意から杵家派では代々この曲を大事に伝承して参りました。その為この貴重な曲が杵家派にのみ伝承されて来たと思います。この弥十吉は天保八年十一月弥七と改名、明治七年九月八日、六十五歳で没しました。

なお11月27日に開催される「第47回杵家会」において、百数十年ぶりに「唐女」を再演致します。

                  

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