今回より杵家に伝承された曲を書く事にします。余り解説書にでていないようなので。皆様で大事に伝えて下さる様、切に希望いたします。第一回はこの曲にしました。変化舞踊曲研究会第三回で演奏しましたので、その折の番組を御覧下さい(少し重複します)。
天保十年(一八三九)三月江戸河原崎座で上演されました「則幸櫻色薗(ときにさいわいさくらのいろどき)」第二番目大切所作事初代沢村訥升の四変化「四季詠○い歳(しきのながめまるにいのとし)」の春の部に当る曲です。夏は常磐津「夕立の猪牙(雷船頭)」、秋は常磐津、長唄掛合「乱菊の胡蝶(屋敷娘の原曲)」、冬は長唄「石橋の雪景」です。角書に「ここに咲くみんな三升や江戸の花」とあります。長唄の作曲は杵屋三五郎、常磐津は五世岸沢式佐です。狂言作者は三世並木五瓶、振付けは松本太郎市、西川扇蔵とあります。
業平を初代沢村訥升、仕丁を八代目市川団十郎が演じました。この訥升は四代目宗十郎門弟で芝居茶屋泉屋の出方浜崎長吉の子で、後に五代目宗十郎、五代目沢村長十郎、三代目助高屋高助とよく名を変えた方です。団十郎は文政六年生まれですから当時十六歳で、後大坂で自殺をした人です。
タテ唄芳村孝次郎は初代で奴の孝次郎と言われた名人、タテ三味線は作曲者杵屋三五郎です。杵屋六三郎作曲と書いてある本を見ましたがこれは正本名題下に杵屋六三郎述とある事によったと存じます。しかしこの興行の時六三郎は出演していないので、アドヴァイスをするとか曲の一部の手直しをした程度かと思います。二上り「なれも浮かるる」の所など六三郎的手法が感じられます。述と云っても作詞の意ではなく、曲をまとめたとか監修したと云う意ではないでしょうか。
曲は譜のみ伝わって来ましたが、テンポが判らず困りました所、弥七師が昔の囃子のツケを見つけられその御陰で復曲出来ました。初め本調子三重で始まり「あづま路や」のオキ、次の合方はセリかと思います。「時知らぬ」は序の舞とありシツトリと業平の踊り、二上りは宮神楽とあり在郷がかった皮肉な節付でここは仕丁の踊りでしょう。「花心」のオトシから気を変え、大小とありノリます。「綾や錦」から二人の踊りと思います。「袖ヶ浦」「花と雪」の後は浪や風を表現した巧みな作、「あら楽しや」でチラシになります。
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