長唄聞書53「六翁(寿)」





先日の会の折杵屋六翁の「寿」をやらせて頂いたので、この曲に関連して色々と申上げたいと存じます。
長唄の「寿」はメリヤスの曲、四世杵屋弥三郎作曲の曲と、この曲の三曲あります。嘉永六年(一八五三)三月、六翁七十四歳の時発表されました。作詞は朧月亭となっていますが作曲者自身ではないかと思っています。曲は御存知のように『伊勢物語』第四段、『古今和歌集』巻十五恋五の在原業平の和歌の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして」の上の句と下の句の間に詞を入れた詞章で、この春について疑問ととるか反語でとるかにつき各説あって定説はありません。上の句と下の句を倒置してこの和歌を解する、と言う事が昔から言われていますが、この考え方でみると曲の章が少し判るような気もいたします。
六翁がこの曲を作ろうとした動機は何でしょうか。大体この業平の和歌は失恋の歌で、これを寿として持って来た所に六翁の意中の何かがあるように存じます。考えられるのは四年前の古希の祝の時と七十一歳の時の六代目六三郎襲名の時の作曲という事です。しかし七十歳の時は名人の誉れが高かった長男の五代目六三郎の死にあった事、七十二歳の時には先妻との一人娘たき事初代六の死にあった事があり、年齢をとってから愛する息子と娘を失ってしまいました。六翁の胸中ははどんなであったでしょう。曲中「見捨てて帰る雁の」の言葉の中に去って行った子供達に対する感じが表されているように考えられます。しかし六翁は過去の色々な事を超越し、悟り切った心境で長唄と云うものに直面して行こうという意から、この曲を改めて新たに作曲したのではないでしょうか。従ってこの曲は大名人であり名作曲家であった六翁の、人生の集大成・人生観と云ったものを淡々として語っているような気がします。昔から五十や六十歳位ではこの曲は演奏出来るものではないと言われています。単に曲を習得して唄ったり弾いたりする事はだれでも出来るでしょうが、多くの事柄や六翁の心境など考えますと大変な哲理を持った曲であって、只単なる演奏は出来ないように存じます。現在の聴衆の多くの方々は、声が美しいとか節がうまいとかという事ばかりに重点を持たれているようですが、もっと大事な事は、作曲者の作曲上の気持をどう理解するか、演奏家として如何に作曲者の意図を表現しているかという事であって、声が出ないとか三味線をスカ撥したとか言う事ばかり言う人が多いようですが、これは枝葉末節な事に思います。
先日七媼師と御一緒させて頂きましたが、師は淡々と演奏され六翁の作曲意図を実に明確に表現なさっていると感じ入りました。やはり七媼師と私とでは大人と子供の差があるなと改めて痛感いたしました。熊谷のセリフではありませんが「七十余年は夢であったな」と六翁の声が聞こえるような気がしました。

                  

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