拙著『長唄閑話』石橋の項と重複するところがありますが御許容ください。
作曲は文政三年となっていますが「外記節猿」の文政七年と一寸間があき過ぎる気がします。秋葉芳美先生御所蔵正本に文政十三年とある由で、こちらの方が妥当のように存じます。大薩摩権を預かったのが文政九年で、それ以前の曲は大薩摩手法を使った曲が少くこの曲はその手法を多く使っているので、その点からも文政十三年説をとりたいと思います。作曲者の父九代目六左衛門の作品に「冬の山姥」がありますが、道行の所など大分この曲を下敷にしています。尤も「冬の山姥」は三下りですがこの曲は本調子にしています。後に十一代目六左衛門が「四季の詠」で応用している事も面白く存じます。
寂昭法師の名ノリで始まりますが、位取り序破急がむつかしく、又、余り高僧にしたり若人にしてはおかしいし、謠になってもいけなく大変です。私個人としては、多くの方々の名ノリを伺いましたが先代吉住小三郎師は誠に結構で感銘を受けました。「樵歌牧笛」は一小節多い派と少ない派があります。「谷の川音」は川を唄って音を語るよう云われました。道行の歌詞は『和漢朗詠集』の大江朝綱、紀斎名の詩より引用しています。「聞こえてまつゥ」のゥは外記節本来の手との事で「風もなし」はアミドの手の由です。「歩みくる」のナガシは止メ撥をせずツンを問答の「いかにそれなる」の前につける由で、ここは中オトシです。「これは石橋にて」のこれはを上げる人がいましたが、こうすると狂言言葉になるので叱られます。大体外記節というものは地と唄が渾然として変り合い、自然な効果をあげるのが特色で、「たやすく思い渡らんこと」が地で「あら」と唄に変る所や「影向の時節も」の時節迄を地でもを唄に変える所等です。昔から「橋をも渡り給いしが」と濁るのは上句にこそがあるので文法上おかしく「給いしか」と云うべきで次の「獅子は小虫」の連関する助詞ではないという説がありました。能では確かにそうなっていますが、只車屋本の吉川家旧蔵本は給いしがになっている由で、これらを言出すと小虫も能ではしようちうとあるので、ここもおかしい事になってしまいます。大薩摩は「天地開闢」と「新たなり」の二ヶ所ありますが、前者の方を大きく弾くようにとの事で、二ヶ所の演奏を同じ様にしてはいけないと言われた事がありました。始めの名ノリの所で「只今思い立つ」とあるのを「波濤を越え」に改めたのは三世勘五郎の『露の転文』からで、日本で思い立って急に遠い中国へ着くのはおかしいと言う理由からとの事です。今も「思い立つ」の方で唄う人がいます。「薪を吹きそいて」をそえてにこの時直されました。昔「渡せる長さ三丈余り」を三尺余りと唄った人がいて、随分短い橋だねと皆で大笑いしました。
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