長唄聞書49「英執着獅子」




昔より長唄の難曲の代表として「二人椀久」とこの曲があげられていました。この二つの曲をきちんと唄うことが、唄うたいの究極の目標であったそうです。何処がそんなにむづかしいかというと、吉住慈恭師も言っておられますが、全曲唄いぱなしで語る部分が一つも無いということでしょう。それに曲の位と品格を持つこと、三味線の手につきやすい所が多いので不即不離で演ずること、ノリの変化を考えることなどではないでしょうか。ともかくいかに奇麗に唄い弾けても、品の悪い演奏は最悪です。こうした曲はじっくり聞くと、演者の性格なり人間性が判るので怖いです。せっかちな人や意地の悪い人はそのように出ますし、はったりで余り勉強していない人などありありと出ます。技術プラスアルファが必要な曲の代表かと存じます。
地唄の「石橋(番獅子)」がこの曲の原曲ですから必ず一度御聞き下さい。女方舞踊の獅子はこれ以前に「枕獅子」「相生獅子」などあり、「執着」をなさる方はこの二曲も参考研究すべきと思います。初めの「花飛び」は三体詩巻之一絶句、陸象蒙「花飛蝶駭不愁人」によります。各流各派の手法は余り大きな相違はないようで、始めの「花のかげ」を上でやる人と下でやる人があります。同じ様に「獅子のこま」を上でやる派と下でやる派があります。「大宮人」と「名取の里」は大体同旋律ですが、前者を時代に後者を世話にやるように言われました。この「たがこ桜」は二代目勝三郎が「たがこ」は地名であると言われた由で、「たがこオ桜」と唄う派と「たがァ小桜」と唄う派があります。二度返しを唄う機会は割と少ないですが、やっていてむづかしいと何時も痛感します。「時しも」の所は「鏡獅子」が同日に出る時怖いことこの上なしです。「散るは」を先に言うのが「執着」あとに言うのが「鏡獅子」と呪文の様に念じ乍らやっています。「人目忍べば」の所は息継ぎがむづかしいのと、際立った節がないので大変です。人によって歌詞と三味線のツキが異なります。古老に、この部分を聞くと演者の力量がはっきりわかると言われました。「な夕な」は芝居唄風に上から出る人もいます。「柳に柳に」も難所ですね。三味線と上手く息が合うとホッとします。「昔なり」を普通のオトシにする派もあります。ここは「分身草摺引」にも同様の節があるので流行っていたのでしょうか。「獅子とら」迄来るとホッとしますが、ここで気を抜くとひどい目にあいます。堀留系と研精会系は手法が異なる所が数ヶ所あります。
町田佳聲先生の脚本に「明治の初め頃迄はただダラダラしたテンポで演じていたのを三代目杵屋正次郎が演出を変えて浮沈みをつけ、今日のような変化のある足取りにした」とあります。演奏は六本でやるのが昔からのきまりであった由です。

                  

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