大坂御堂前の椀屋久兵衛(久右衛門)は実在の人物で、傾城松山に深く馴染み放蕩の末勘当され、松山恋しさに気が狂い町々をさまよい歩いた事を材にした椀久物は、芝居や音曲に数多くあります。芝居で一番古いものは、貞享三年(一六八六)中村座「椀久浮世十界」で二代目三國彦作・花村きぬへの椀久松山で、次は元禄三年(一六九〇)京の大和屋甚兵衛(役者は初代・名義は二代)が演じた「傾城袖の海」でこの時の歌詞が『松の落葉』巻第三にあります。紀海音の義太夫「椀久末松山」が出来、都一中「椀久狂乱道行」が出来ましたが、この二つはどちらが先かまだはっきりしていないようです。
長唄では享保十九年(一七三四)十一月市村座で、初代瀬川菊之丞の松山・市村竹之丞(八代目羽左衛門)が演じた「二人椀久」が初めで、『邦楽年表』では松島庄五郎、坂田兵四郎の唄で三弦不明とあります。『歌謡集成』を見ますと「行く水に」で始まっています。後、安永三年(一七七四)五月市村座の八代目羽左衛門追善として上演された「其面影二人椀久」が今日伝わっている曲で、九代目羽左衛門、瀬川富三郎(三代目菊之丞)が演じ、唄は松永忠五郎・三弦は錦屋金蔵で始めの二上り「たどり行く」は一中節「椀久道行」を参考にしています。「行く水」からは大分前回の曲を基にしているかと思われます。始め説経がかりで始まるケースが多いようです。「たどり行く」は切らずに一息で唄うよう言われました。「とてもぬれたる」は正本にナゲ節とあります。ここを歌かかりとする派と二つあり、「とても」の最後をハネてオイ「ぬれたる」とするのが前者で、研精会系は一中の後者をとるので「ぬれたるや身なりやこそ」を続けます。「ゆかり法師」ですが、初代都一中と椀久は知り合いの仲で十徳を贈ったという記録がある由で、従ってこのゆかり法師は都一中の事と思います。次の「知恵も器量も」を文ヤの解釈をなさる方もあるようです。正本にも一中かかりとあり一中の節でやるべきでしょう。「行く水」は位どりもあり大変な所です。「飛鳥川」は切らずに唄えとのことです。「篭はうらめし」あまり音を下にとり過ぎるとオバケみたいになるので要注意です。「思いざし」返す時は二度目の節を何処か変えます。これは後の「廓の三浦」でも同じです。「後より恋の」の謡がかり、次の鼓唄、「筒井筒」と難所がずっと続き、研究と練習不足ではとても出来ません。「わざくれ」と唄うとホッとしますが、「椀久」はここから始まるつもりで唄わねば駄目だ、と散々言われました。初演の松永忠五郎は水戸の能役者の出との事で、「筒井筒」は彼にあてて作られたそうです。ただしくれぐれも謡になってはいけないと昔から代々注意があります。小谷青楓『長唄の心得』の中で「長唄でいちばん難しい物が椀久、椀久でいちばん難しい所が筒井筒」とあります。
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