四代目杵屋六三郎が天保四年に作曲した曲で、短い曲ですが品もあり洒落た作曲で運びも巧みに出来た佳曲と思います。昔、御弟子さんが正月にやるもので短くてやさしいものと云う御注文でしたので、この曲を御すすめしましたが、後で一寸もやさしくなんかありゃしない、凄くむつかしい曲じゃないですか、と大変恨まれたことがありました。むつかしいのも道理で、初演が後に醒暁斎になった二代目岡安喜三郎で、唄浄瑠璃を得意としていた人ですから曲節はむつかしいわけです。ただ子供が無心で唄うのを聞くと、大人がかなわない演奏をしている時があります。
作詞の劇神仙は二代目で、この人については、狂言作者宝田寿助説と寿阿弥説がありまして、『狂言作者概略』に真志屋五郎作と云う神田新石町の水戸家御用達の菓子商で、後剃髪して寿阿弥となった人の事を二代目劇神仙としていますので、私はこちらをとっています。詳しくお調べになりたければ『近世文芸』第四五号、鹿倉秀典「劇神仙.考」を御覧頂きたいと存じます。
初音の日の行事や、引用和歌の事は多くの解説書にありますので省略します。これも調べ出すと大変面白いもので、御時間の御ありの時御すすめします。
曲は前弾きで鴬の鳴声をきかせたりして仲々凝っています。「鴬の」は兼盛集子の日の遊びをふまえていますので、品位が必要かと存じます。「野辺は」の所は文ヤを使って歩いている様を表していますが余りのらずにゆったり歩いている方がよいでしょう。ここも伊勢物語をふまえていますので意識のうちにおかれるべきです。「有りながら」のウミ字を長くのばすと三味線と合わぬ音になるので、割と早く切るようにしています。「恋のくせ」の節をのばすのは格子(蔀)が上る様の表現と仰っしゃった方がいました。二上りの合方はよく「五郎」のツナギで使うので「五郎」の曲と思っていた人がありました。下座で「吹きそめし」を割と使用しています。「かざす桜の」は三味線と打合せなのでここの所は骨が折れます。文化譜は「折れて床しき」になっていると思いますが初演正本はこの通りです。しかし一般には「折りて」で唄う人が多いようです。四世杵家弥七師はよく初演正本と歌詞を参照しておられ、何時も感心します。近頃の方は余り初演正本を見ないようですが、初演者のメンバーから唄い方も参考になる時もあり、歌詞の点でも良く参照なさって作詞者の意図を、御考え頂きたいと思います。ある曲でK師作曲と永年云われてきまして、どうもK師はこの手法を使わぬ筈だと疑問に思っていましたが、初演正本を見つけた見た所S師でしたので疑問が解けた事がありました。初演正本は上調子が書いてありませんので、後の作曲と思います。
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