この曲は六三郎作品の中でも群を抜く傑作で、長唄の御手本とされ、明治大正の作曲を志す人はこの曲を研究することで作曲を学んだと言われています。研精会新曲を始め数多くの新曲作品は実に多くの影響を受けていまして、初めて「十二段」を聞きました時かえってアレ何処かで聞いた旋律だと思った事がありました。曲は嘉永三年(一八五〇)開曲と伝えられています。
この曲の原拠は文化四年(一八〇七)八月二十日河内屋半次郎方で演じられた河東一中掛合「源氏十二段浄瑠璃供養」で伝蔵河東(七代目)一世一代で演じられました。作者は恵井志、栄思とも書き狂言作者三升屋二三治です。この催しの折、薩摩侯が大層面白く聞かれ六三郎にすすめて作曲させたのが、長唄作曲の動機となったとの事です。この薩摩侯は、二十八代島津斉彬が家督を継いだのが嘉永四年なのでその前の二十七代島津斉興と思われます。曲は薩摩侯の御意に大変かない褒美としてお国の上布を長持一杯賜わった由、杵屋栄二師が浄観師より伺ったそうです。
曲名の原拠ですが、峰の薬師(三河国南説楽郡門谷村・鳳来寺)に祈願してもうけた姫との事で、薬師如来は正しくは薬師瑠璃光王と言い東方浄瑠璃光世界の教主法王とされています。浄瑠璃の名はこれによると存じます。又この如来は十二の大願があり、相好具足・光明照被・所求満足・安立大乗・持戒清浄・諸根完具・除病安楽・転女成男・去邪趣正・息災離苦・飢渇飽満・荘具豊満がそれで、又、薬師の守護は十二神将であり、十二段の十二は瑠璃光佛との関連によるものと存じます。
歌詞は一中河東に遠慮して所々変えてあります。歌詞は七五調に統一されてあり、二三治の学識が各所に出て参ります。作曲も実にすばらしく、普通長唄と申しますと他の流儀の曲節、例えば一中・河東・豊後系の節を借りた曲節が多いのですが、この曲はそうした点が殆ど無く純粋の長唄となっていると申せましょう。曲は上下に別け、「姫も思いの近まさり」より下の巻となります。上の巻の「心づくし」は歌舞伎下座でよく使われます。曲の段切で、一中と河東は「尽きせぬ御代のしるしとて流れは絶えぬ一河の東・都の水も末清く」とあるのを「流れは絶えぬ上野のほとり池水の泉末広く(清く)」と変え、六三郎の住居の池の端にちなんだ文句にしています。作曲した折、一中河東両派より苦情が出て一寸もめましたが、長唄唄本の「杵屋六三郎述」を取る事で話がおさまった由です。
二上りの「竹にサア雀」は妹背山のお三輪が唄う歌なので御存知でしょうが、こことか三下りの「水に絵をかく筆つ花」とか「とうに落ちいで」の「さんさ寝よもの」など下の巻には唄の難所が多くあります。「はや明近き」迄くるとホッとしますが実はここから大変で油断が少しも出来ません。長唄をなさる方には必修曲目の一つと思っています。
|