長唄聞書45「鷺娘」





この曲は九代目市川団十郎が復活上演して以来人気曲となりました。『舞踊手帖』(平成十二年版)には明治二十五年、杵屋栄蔵『長唄のうたい方』(昭和二年版)には明治二十四年とありますが、団十郎が復活上演したのは明治十九年四月新富座と存じます。栄蔵師の本に出ている上演出物が明治十九年と全く同じなので失礼ですが思い違いをなさったのではないでしょうか。その折三代目杵屋正次郎が曲に大分手を入れたようで、初演の折とは曲節が大分変っていると存じます。例えば「傘をや」は正本にオトシとありますが現在では異なります。クドキに「新鷺娘」の、「恨みて初手」のくだりを入れたのは明治再演の折です。又羽バタキ、新合方、セメ合方など正次郎が作曲し加えたので面白い曲となりました。
流派により歌詞が所々異なりますが初演正本によりますと( 印)「積るおもいは淡雪」「せめてあわせと夕暮」「汐汲むより」「君の心」「主の心」「縁と月日」とあります。「それえそれえ」を省略する派がありますが、正本も明治再演本もありますので入れた方がよいと思います。初めの「妄執の雲」の鼓唄に三代目正次郎が作った手を入れる事がありますが大変むつかしいです。「忍ぶ山」は正本に説経とあります。「積るおもい」はわざと訛って唄うと想いと傘に積った雪の重いと両方に聞えると言われました。江戸方言で、おもい、恋、念、雪、などは今の関西風アクセントと同じで訛った由です。「思い重なる」は鉢タタキと云う手と仰っしゃった方がいました。「胸の闇」は唄尻をボウと消す様言われています。「迷う心」は御存知の様にすぐ出る時と後から出る時とあります。この曲で一番むつかしいのは「忍ぶその夜の話を捨てて」でノリを作り雰囲気を変えるのですから余程力量のある方がなさらぬと曲が死ぬ気がします。「須磨」と「繻子」のカエシは何処か変える様言われました。「白鷺の」を抜く事が多いですがここはむつかしいですが原曲を伝えている面白い所と存じますので、なるべく抜かないでほしいです。「恋に心」は鼓唄となっていますが正本はホソリとなっています。以前民謡の時間を何となく聞いておりましたら「サアサホソリの始まり始まり」と言って木をチョンチョン叩いて唄うのがありましたので、ここから取ったものかと思いました。ここは三味線を弾いては唄の人に失礼になるそうです。傘の所は「車傘」を上で唄う派と下で唄う派がある様に音使いやツキが人によって違うので御注意下さい。セメになって「剱の山」は舞踊や芝居では三重で唄うのが殆どです。後半は唄方は一寸気を抜く傾向がありますが後半の方がむつかしい様に思います。「おいめぐりおいめぐり」のように重なる言葉を何処か変えます。「あわれみ給え」か「あわれ見給え」か、よく聞かれますが、私個人は前者と思います。

                  

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