長唄聞書40「四季の花里」





根岸の勘五郎が三郎助時代に作曲した傑作で、唄うたいには高い所が多くて苦しい唄ですが、名曲の一つと存じます。四季に分けられ地名が二十四出て来ます。春は初音の里・梅屋敷・中道・根岸・せき・貝塚・上野・日永が原・日暮し・呉竹の里の十、夏は忍ぶが岡・大塚・新田・筑波根・三河島の五、秋は中村のみ、冬は時雨が岡・三の輪・石稲荷・音無川・笹の雪・御行の松・金杉・三島明神の八、となっています。根岸は春と冬が時に美しかったと云われていますので、この配分はそれが表れているようです。
曲は始め河東節で始まります。「白梅やしき紙」は梅屋敷が掛けられているので「白梅や」のあとカケ声をしてはいけません。これは「深い中」の所も中道が掛けてあるので同じです。「歌の謎」のあと鶯の擬音となりますが、鶯の鳴声については江戸時代初期より研究書が多くあり、文章から考えると藪鶯になりますが、作曲者は藪鶯でない鳴方を曲にしているので注意して弾く様との事です。「道の行手」は文ヤです。「来つれて」から在郷の手を「迦陵頻伽」の所は楽の変形を使っています。「雲の上野」から花見の道中を表わし「日永が原」と河東節になり「早や日暮し」となりますが、唄はここが一番の難所で会の時ここが来ないよう何時も祈っております。二上り「ほとときすぎす」のあと合方でほととぎすのテッペンカケタカの鳴声をとっています。「田の面に写る」と在郷の手など一寸入れ「数かく雁」で雁の鳴声を入御存知の様に砧の合方で三下りになります。三下り合方を早く弾く方がいますが中ノリでやるべきでしょう。ここの歌詞は一寸無理がある様で「ぬるる時雨が拝みても」は時雨が岡の不動尊の事で、「恋の石いなとも歌う」は石稲荷の事を唄っています。「鳴く烏」で烏の鳴声 を出しています。このあたりは高い音が続くので烏ばかりでなく、調子の悪いときは唄うたいも泣きたい所です。「神祭」のあと屋台囃子の手が入り「諸人の」のあとの手は大変面白い手法で、浅川先生は神楽と解釈しておられますが私は神輿のワッショイかなと思います。一寸無理かもしれませんがそうすると次の「かくる(かつぐ)」とつながる気がします。「千代よろづ代」と「かくる願」は油断していると落とされるので恐い所です。数十年前故杵屋六一朗師と急にこの曲を御一緒した事がありましたが、研精会系の手と十数ヶ所違っていました。
作曲者の杵屋勘五郎の家は震災迄あり、小三八先生が浄観師とそのあたりを通られた時「あれが根岸の家だよ。」と教えられた事があったと話されていました。十数年前根岸を探訪した折、そこへ行きましたが酒屋になっていました。今どうなっていますか・・・・・・呉竹の里と云うのは輪王寺宮御隠殿に呉竹寮があった事(根岸二丁目)より来た由です。



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