長唄聞書39「橋弁慶」





「橋弁慶」は二曲あり、普通は根岸の勘五郎作曲をさしますが、文化八年「遅桜手爾葉七字」にも同名曲があり、部分的に少し伝承されていたものを杵屋栄二師が補曲してまとめられました。弁慶に夜鷹がからむと云う洒落た内容で「三下りの橋弁慶」と云っています。
明治元年「橋弁慶」が出来る前に、嘉永四年の一中節、文化年間の河東節(これは天保四年「東花集」迄詞章を見ないのでこの頃の作か)の「橋弁慶」があります。勘五郎は作曲に当ってこれらの曲を参考にした事は考えられます。初演は浄瑠璃、大薩摩源氏太夫(三世吉住小三郎)、吉住五郎治、三絃、杵屋勘五郎、藤間勘左衛門、上調子、杵屋四郎治(浄観の父)のメンバーです。
この曲は、位どりで各自解釈が異なる様に存じます。弁慶は安宅の関で勧進帳を読み上げたような知性に富んだ豪傑であるから立派に大きく演じなければならぬと云う説、いやこの五条橋の時はまだ二十才位の人物なので余り立派にやってはいけないと云う解釈等色々あるようです。立派で大きいのもよいですが六十才位の人の様な感じにしてしまうのは感心できません。太刀持にしても七八才位の感じでやる人がいますがこれもおかしいです。古老の方が、弁慶が今夜をこんにゃと太刀持はこんやと発言すると云っておりました。御参考までに、「御前に候」を始めて致しました時、三十分位、違う違うと怒られました。何処が悪いのか判らなくて困りましたが、三味線の三郎師が援軍を出して下さって「序破急があるのだよ」と教えて頂きました。即ちが序で、前にが破、が急なのです。序破急はこの曲全体を通しても、又夫々の区分でも云える様です。ともかく構成のきちんとした曲なので、それを先ず考えるべきでしょう。
「さても牛若」は唄いにくい所で通常歌詞は七字か五字が一般的ですが、ここは八文字なのではまりがむづかしいのでしょう。能では牛若を子方が演じるので、長唄も子供である様に演ずる方がいますが、「鞍馬山」に「十余年の星霜ふれど」とある様にそんな小兒ではありません。牛若はともかく品位が第一で、これが無ければ救い様がありません。「既に夜を待つ」の大薩摩の後は義太夫の手法を使っています。「彼は女の」をカンへ持って行ったのは実に上手に作曲と何時も思います。立廻りは、勿論の事ですが、間と拍子、足どりをよく演奏すべきでしょう。「あきれはてて」の大落シは定型ですから正しく演奏できないと大恥です。「契約固く仕り」この曲の重要な所で、主従の情感が表現できなければ曲演奏者として落第だとよく云われたものです。この曲はタテが弁慶、ワキが牛若と役所がはっきりしているため、もしどちらかが失言や絶句した時変われないので、三枚目はすぐとって代わって演奏する義務があります。
三枚目は始めの問答が済むと気を許している人が多いですが、常に緊張していなければならずこの曲の三枚目は大変だと思います。



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