長唄聞書38「傾城」





長唄の傾城は江戸時代に三十余曲作られ、現在伝承されている曲は、私の知っている範囲では十一曲あります。曲の唄出しの文句から、門、かりそめ、初雁の傾城と、又演じた役者の名から、小団次、芝翫の傾城と云う風に区別しています。中で一番有名なのは文政十一年三月「拙筆力七以呂波」(にじりがきななついろは)の二世中村芝翫が演じた「傾城」で、普通「傾城」と云えばこの曲をさします。十代目杵屋六左衛門が四代目三郎助の頃の作曲で仲々の名曲です。
町田嘉章先生が、「傾城は名曲だが、よく聞くと豊後や河東や一中をうまく取入れた鵺(ぬえ)みたいな曲だね。」と仰っしゃっておられました。特に始めは河東節の利用でオキですから、サラリと重くならぬ様演ずるよう云われました。初演の折は「仲の町」の後の合方でセリ上げてあった由です。「根ごして」はナゲ節で「初桜」からレイゼイになりますが、型がはっきりしているので唄方はくずしてはいけません。近頃あちこちで伺っているとレイゼイを目茶苦茶に唄っている人が多い様ですが、きちんと御習得して下さい。先代竹本綱大夫が長唄の「傾城」だけはきちんと習われた由で、その時「れんじ迄来て行く雁に」の所は目を使って唄う様云われたそうです。誤解されると困るのですが、目を動かしたり表情を変えてと云う意味ではなく、ここの筋肉を利用するという意でしょう。「傾城の誠と雪に黒いは」の所は初演の芳村孝三郎(前杵屋六松)が唯一のワケ口でしたので、苦心に苦心を重ねた所です。作曲者に大変ほめられ現在は必ずタテが唄う所になりました。「廊下をすべる」は吉住慈恭の演奏は上草履が本当にすべる感じがあった由で、日吉小三八師が生涯あそこはどうやって みても師匠(慈恭)の感じが出せないと云っておられました。
次は三を下げて三下りのオンドになりますが、「風かおる」の唄の出方が派によって三通りある様です。オンドは二種あって、イセオンド系と江戸系オンドで、イセオンドはフリ落としを使いますが、江戸系はフリ落シをしない様云われています。この曲は江戸系オンドの方です。昔唄尻をフッて目玉の飛出る程怒られました。「ほすちょう」のほを下から云う派と上から三味線の音について唄う派とありますが、私は後者の方が良いと思っています。「よんやさ」も始めとカエシでは違います。「見返り」の後スガガキを入れたり、三下りの前に合方を入れる事があります。初演の折は勿論ありませんが、これは仲々効果的でよい様に存じます。
初演の芳村孝次郎は通称奴の孝次郎と云われた人で、頭を奴たぶさにゆっていたのでこの名があります。大食で有名でソバを二十五杯食べた由、又鰻丼の発明者で葺屋町大野屋で始めてやらせました。唄の近世大名人の一人です。



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