この曲に関しましては『季刊邦楽』第六十二号に一寸書きましたので御参照ください。開曲の時の挨拶状が名古屋の杵屋三太郎師のところにあり、私に下さいましたので今家にあります。それによりますと明治三十八年三月の挨拶状で、望月長九郎改め七代目望月太左衛門(後の朴清)襲名と、初代太左衛門安永巳年の時より百三十三年に当たる先祖祭の催しで、四月一日東両国伊勢平樓にて開曲されました。
メンバーは、芳村伊十郎、杵屋六左衛門(十二代目)、岡安喜代八、杵屋勘五郎、小鼓望月太左衛門と列記されています。
歌詞は大槻如電で、大変むつかしい言葉が並んでいます。「しんしょう許由」ですが原本には「しむしやう許由」とあります。これは大般若経にある「盡浄虚鬲」(ジンジョウキョユウ)から来た言葉で、ねはんに通じる道が澄渡った事を云う由です。「白鷺池」は必ずビヤクと濁る由。「葦の下葉」ですが、「下葉をおとずる」と云う派と、「下葉を閉ずる」と二つの解釈があるようです。これは昭和四十二年に「梁塵秘抄」の原本が新たに発見され、上賀茂神社の神曲、水の白拍子、みずの宴曲(猿)の二つが原本にあり、それには「芦の下葉を閉ずる」になっているそうです。従って「閉ずる」の方で唄うべきです。こうした事は余り解説本にのっていないので、覚えておいて下さい。
再演につきまして浅川先生より栄二師の御話を伺いましたので『季刊邦楽』とダブリますが、全部書いておきます。「大正十二年春頃、故八代目望月太左衛門師から「島の千歳」を久しぶりでやりたいがどこかで調べて来てくれないかとの注文で(開曲以来余り出なかった様子)、故初代杵屋五三郎師の所へ行って頼みました。同師はご承知の通り頭脳明晰、譜に依らずして珍らしい曲の弾ける方です。同師が<私もちょっと怪しいがよく調べますから>とのことで改めて参上し教えて頂きました。たしか大正十二年八月頃の鶴命会にて上演いたしました。その頃師はわからぬ箇所を杵屋勘寿々(五世勘五郎門人)と云う人に聞いたそうです。邦楽曲の通例としてその後色々弾きくずれ、現在は私の教えて頂いた手とも大分違い、鳴物の手も色々あるらしい様子。三味線も私の覚えた当時「四方のしき波」の所アシライを弾きましたが現在は弾きません。歌詞は「雨乞」の曲と云う事でした。」
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