昭和三十年代初めですが、某会に参り「秋色種」をやりました時、楽屋へ立派な紳士がみえて「タテの方が岡安喜代八の型で演奏しているのにワキ以下の貴方達は富士田音蔵の型で演奏している。これはタテの方に失礼だから今後気をつけなさい。」と叱られた事がありました。その時は叱られた内容がよく判りませんでしたが、十年位前にやっと判り反省しています。型とか伝承というものは大変大事な事でよく研究すべきかと思います。
又ある時舞踊の会で珍らしい曲が出た折、これも立派な髭をはやした方がみえて「貴方達ワキ以下の方々はテープと譜で曲を覚えたのでしょう。見台の前で習ったものかテープで覚えたものかすぐ判ります。タテの方にきちんと御習いして舞台にあがるべきです。」と言われ怖いと思いました。以前はこうした所謂恐ろしい御客様が沢山いました。全然知らない方々からも昔は御注意の手紙や、御叱言の電話があったものです。それが皆、的をついた有難い御注意ばかりでした。ここ数十年そうした事無くなってしまいましたが、言っても無駄だからとか、言うだけばかばかしいと匙を投げられたかとも思いますが、物をよく御存知の御老年の方々が殆んど歿くなられたのではないかと思われます。悲劇です。
昭和三十年代は放送や御仕事を頼まれると「何時さらって頂けますか。」と言うのが常識でした。今はこうした人は皆無ですね。又余り出ない珍らしい曲を頼まれると「財産が一曲増えます。」と皆答えたものです。先日楽屋で若い人が稀曲をやる時「こんな曲一所懸命覚えても一生の内にやるかどうか判りやしない。馬鹿馬鹿しい。」と言っているのを耳にしましたが、驚くよりあきれました。
最近驚いたのは、若い人がワキで湯呑を使っていましたが、一昔前考えられない事です。しかもタテが唄っている最中湯呑を使っているのです。ワキはタテが咳込んだり詰まった時すぐ扇子を取る義務があるのです。湯を呑んでいる時もしタテが絶句したらどうする気なのでしょうね。タテの演奏中にワキ以下がこうした事をするのは大変失礼であり、言語道断です。三十代位で湯を呑まないと一曲持たないようでしたら、六十・七十の爺になった時どうなるのでしょうか。恐ろしい事です。
以前は演奏会で七曲出曲があると、必ず唄本を全曲持参したものです。何時でも替りが出来るように準備しておくのが当り前の事でした。会の翌日、師の所へ行くと必ず七曲の内の数曲を演奏させられました。それが「花見踊」りや「末広狩」でなくて「与作」とか「葵の上」なのですから恐ろしいです。
名人の録音をすり切れる程聞いて勉強なさる方がいますが、それは非常に結構な事と存じます。しかし吉住慈恭師は「越後獅子」を六回録音なさいましたが、それが全部微妙に違っていて夫々よい演奏なのです。録音も譜も何百回かやった内の一回で後の数十回は違うかもしれません。固執する事はよくない事で進歩がない気がします。
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