長唄聞書(番外)「一寸一こと」





ここの所色々感ずる事が余りにもあり過ぎるので、一回御休みを頂き一言申し上げます。
数年前(私が行っていた舞踊会ではありませんが)ある会で十一時開演、御開きが清元で二番目が五挺五枚の長唄であった由で、その折四人目の三味線の若手の人が十時四十分になっても来ないので全員が心配していた所、楽屋へ当人から電話があり「車が渋滞して少し遅れますが時間に間に合わせますから御心配なく。」との事。タテの方は斯界の大先輩ですからこれを聞いてカンカンに怒った。来なければ四挺五枚でやるつもりだったので、別にそんなチンピラが来ようが来まいが演奏に関係ないと言われたそうです。芸界の恐ろしいのは、この話がその晩の内に伝わって(私の家にも)翌日は長唄の多くの人がこの事を知っていたという事です。御当人は気がつかなかったかもしれませんが、二年位はヒマになった筈です。
大体、三味線の人は糸が仲々伸びないのですから、十一時開演なら少くとも十時半には楽屋入りすべきで常識だと思います。若い人で、「そんなら十時二十分に来いと言えばいいではないですか。時間に間に合って遅れたわけではないのですから文句を言われる筋はない。」と本当に言った人がいましたが、皆様如何に御考えになりますか。よくもよくもペイペイの若僧が、先輩諸師が並んで座っている楽屋へ遅れて平気で入って来れるものだと、その神経を疑いますね。始めての会場で演奏する場合などは、会場のクセとか反響面とか広さなど判らない点が多いから、少なくとも一時間前に行って調べておく位の心構えと云うものは、演奏家にとって重要な事ではないでしょうか。交通渋滞とか急病とか色々の事情は現在社会ではあるでしょうが、開演に遅れそうになった時の云いわけは一切認められません。汽車は一秒遅れても乗りそこなうよと、よく昔から云われます。英国の諺に「正確な時間は王者の道」というのがあります。約束した時間を守ると云うことは絶対厳守して頂きたいと思います。これは芸以前の問題です。
次に稽古をしている時、自分が間違いをやるとこちらが指摘する前に「あっ間違いました。」と中断して自分で反省をする人がいますが、これは独り稽古といって昔から教えている人に対して最大の失礼・無礼な事とされています。戦前この為に破門になった人もいる位です。又出来ないと、帰ってテープを聞いて勉強して来ますと云う方がありますが、テープを聞いて覚えたり簡単に直せるなら師匠などいらないと思いませんか。弟子にテープをコピーして送り各自夫々覚えて月謝だけ頂けるなら、師匠などこんな楽な商売はないではないですか。音とか節とかメロディとかリズムはたしかにテープでもとれるでしょうが、テープでは絶対とれないのは息使いであり呼吸です。最近の邦楽全般がつまらなくなったのは、音とか節ばかりを重視して、音のない空間の部分とか息使いを重視しなくなった為ではないかと思います。日本の音楽は実はこれが重要なのです。文楽では今でも息を止めるところで息をすると、なぐられるそうです。「翁千歳三番叟」が何故むつかしいか御判りでしょうか。勿論手順・間・位どり・序破急のむつかしいのは当たり前ですが、唄・三味線・囃子が同じ所で息をつめ、 同じ所で呼吸をするということで、これは十数年に一回位しかなく、滅多に逢う事がないのです。
先日、故三津五郎師の芸談を読んでいてこう云う話を見て成程と思いました。昔の芝居と云うものは五人で会話をする場面があると、五人が全員セリフを全部覚えたもので、従ってセリフがつながり流れが出来面白かったのです。所が今は自分のセリフだけ覚えて他の四人のセリフ迄全部覚えない。だから芝居がつまらなくなったと云うのです。これは長唄にも云えるのではではないでしょうか。自分のワケ口だけ一所懸命やって他の事は余り意にしない人が以外と多いのではないでしょうか。よく私のワケ口は何処でしょう。など云う人が時々いますが、私は何処でも全部覚えておきなさいと返事をします。下ざらいで自分のワケ口だけテープをとって後は切ってしまう人が時々いますが、そんなにテープが惜しいのでしょうかね。長時間テープに入れておいて全体の流れをまづ聞くべきと思いますが・・・。その流れの中の一部分としての自分のワケ口ですから、全体的にこういう人ばかりで演奏されたら遊離した曲が出来てしまい、つまらぬチマチマと小さくまとまってしまうのは当たり前だと思います。合の手をテープカットする人もいますが、一所懸命演奏している三味 線の方々に対して失礼ではないかと存じます。
自信を持つと云う事と、自己を過信すると云う事は似ていますが根本的に大違いです。芸をやる人は常に謙虚で、先輩諸師を尊敬し、誰からでも善い所を盗むべきです。若い人の中に、自分が上手く偉くて爺婆連中はひどく、習うものがないなどと思い上がっているヤカラを時々見かけますが、どんな人でも年輪を経ている方には夫々の持味なり特色なり余人の及ばぬよい所を必ず御持ちです。
又知らないと云う事は恥ではないが、知らない事を知っている様な顔をする事は恥です。知らないで通して知ろうとする努力をしないのは、もっと恥だと思いますが如何でしょう。



戻 る